第26章 それゆけ、謙信様!*氷解編*
「まだ警戒は解かれていないというのに、よくあの武将達がお前を外へ出したな」
桜との会話が途切れて、謙信は自分から声を掛けていた。元来一人静かに酒を飲むのが好きな自分が、その時間を邪魔されているはずなのに、不思議と怒る気にもならない。
「いえ…勝手に出てきてしまいました」
「相変わらず、強気な女だ」
木の向こうからの笑いを含んだような答えに、謙信の口元も知らず綻ぶ。
悪くない。
謙信の事を怖いと宣い、挙句の果てには逃げ惑い。浮かべる表情のどれをとっても謙信の胸を不快に乱すはた迷惑な女との時間が、心地いいとは。
「くしゅんっ」
小さなくしゃみが聞こえて、謙信は体を起こした。おもむろに立ち上がると、木を回り込む。
「…桜」
名を呼んで見下ろせば、驚いたような瞳が謙信を見上げてくる。吸い込まれそうなその瞳に顔を寄せるように屈んで、腕を掴んで立ち上がらせた。
ここは少し、冷えるな。
「もう帰れ。…風邪を引く」
「え?…すみません、でも」
「お前に風邪を引かせたなどと佐助にばれてみろ。うるさく小言を言われるのが目に見えている」
「…はい」
掴む腕は細く、容易く手折れてしまいそうだ。ぱっと手を離すと、謙信は桜へ背を向ける。
「さっさと城へ戻れ」
「…またここへ来ても、いいでしょうか」
躊躇うように、けれど確かな声色で、桜が謙信の背へ問いかけた。
「別に俺の許可など必要ないだろう。勝手にしろ」
「それも、そうですね。…ありがとうございます」
ぺこりと一礼すると、桜は丘を足早に降りていく。謙信は丘の上から、その後ろ姿を静かに見つめていた。