第26章 それゆけ、謙信様!*氷解編*
「?…どうした」
「何でもありません!」
不意打ちすぎる謙信の笑みに、どきどきと止まらない心臓の鼓動。顔を覗き込んでくる謙信に戸惑い、桜は慌てて距離を取る。
「逃げるな、と言ったはずだが」
「逃げません!逃げませんから、そこにいて下さい」
眉をぴくりと動かした謙信が、桜へと近づこうとした瞬間。どん、と音が響いて、二人の周りに白い煙がもうもうと立ち込める。
「桜さん、俺につかまって」
「え…佐助君!?」
突如白く染まった視界に戸惑う暇もなく、桜の体がふわりと抱き上げられた。耳慣れた声に一応は安心する。
「行くよ」
「え……ッ!」
横抱きにされた桜が佐助にしがみついた瞬間、体が勢いよく飛び上がり、絶叫が喉まででかかる。
「この煙…佐助か?」
「姫は頂いた。わっはっはー」
謙信に棒読みの捨て台詞を残して、佐助はそばの町屋敷の屋根を華麗に駆け、姿を消した。
「…あいつめ」
煙玉を自分の主に向かって投げつけるとは。しかし言葉とは裏腹に、謙信の顔には怒りの感情は見られない。
そのまま踵を返し、静かに庵へ帰るために歩き出した。
一方桜は、町から少し離れた野原にいた。
佐助がどこをどう走ったのか、あまり覚えていない。屋根から屋根へ飛び移り、地面へ着地しまた飛び上がり。舌を噛まないようにするのに精一杯で、景色など見る余裕はなかったのだ。
「ごめん、桜さん。荒っぽく運んでしまったけど、大丈夫だった?」
「うん、平気だよ」
二人並んで草の上に腰を下ろし、一息つく。
全然お城に帰れないな…。
想像出来る。今にも桜を探しに出ようとしている武将達の姿が。すぐに帰ると約束したのに、太陽は真上まで昇っている。
「やっぱり迷惑をかけたみたいだね。桜さん、お詫びと言っては何だけど…もし良かったら、一緒にどうかな」
「わあ…美味しそう」
佐助が懐から取り出した竹の皮に包まれていたのは、おにぎりだった。
「佐助君が握ったの?」
「そう。味は保証する…現代にいた時から、おにぎりだけは得意だったから」
少し自信ありげに微笑む佐助につられて、桜も笑った。