第25章 それゆけ、謙信様!*猛進編*
「あの女を見なかったか」
「桜、ですか?ここには来てませんけど」
どうかしたんですか、と尋ねてみせる幸村に、謙信は苦い表情を浮かべる。
「あいつめ、俺の顔を見た途端に逃げ出した。こうなったら、捕らえるまでとことん追ってやる」
「…んな顔してたら誰でも逃げるっつーの」
ぼそりと呟く声は謙信には届かなかったらしい。
「なんだ?」
「いえ。…謙信様が女に執着するなんて、珍しいなと思っただけです」
「あの女に興味があるわけではない。用があるのに逃げるから、仕方なく探しているだけだ」
それを執着してると言うのでは、と幸村は思うけれど。
「まだ探すつもりですか?城に戻ってるんじゃないですか」
「……見つけたら俺の所まで引きずってでも連れて来い…いいな」
謙信はもう一度ぐるりと視線を巡らせてから、ゆっくりとその場を立ち去って行った。無意識に体に力が入っていた幸村は、ふうと力を抜く。
「おい、行ったぞ」
「ありがと…」
どさ、と音を立てて行李の蓋が開く。心底ほっとしたような顔の桜が体を起こして、幸村に笑いかけた。
行李に入っていたせいで乱れた髪が気になって、幸村は無意識に手を伸ばし撫でつけてやる。きょとんとした目の桜と目が合ってから、幸村は自分のしている事を自覚してカッと顔に熱が集まる。
「お、女なら髪ぐらい綺麗にしろ。お前は、ただでさえじゃじゃ馬みてーなんだから」
「何それ、ひどい!」
行李から飛び出た桜の顔が、怒りに満ちている。しまった、少し言い過ぎたかと思った幸村は、慌てて商品として並べていた簪を一本手に取る。
「しかたねーから、これ付けとけ」
「…え?」
さらに怒りの声を幸村に浴びせようとしていた桜が、拳を振り上げたままで停止する。まだ火照る頬を自覚しながら、幸村は桜の後ろへ回り込む。
荒れた髪をさっと整えて、簡単にだけれど桜に似合うようにまとめ上げる。うなじにドキリとしながらも、努めて冷静に、簪をすっとさした。
「…ほら。これで少しはマシだろ」
「あり、がとう…」
幸村からの予期せぬ贈り物に、桜の頬もほんのりと染まる。