第25章 それゆけ、謙信様!*猛進編*
謙信が自分に用があるのなら、話をしてみようか、と迷い立ち止まっていた桜の思いはしかし、謙信の機嫌の悪い顔を見て揺らぐ。
やはり、第一印象で抱いてしまった恐怖がすぐに抜けることはないらしい。桜の足は勝手に逃げようと動き出し、謙信に背を向け走り出す。今思えば、真っすぐ進んで城へと逃げ込めば良かったものを、条件反射というのは恐ろしい。
「…おい、待て」
後ろから聞こえる声に、内心で待ちません、と返事をして。市へと逆戻りして走りながら、再会した日もこんな風に逃げたことを思い出していた。
佐助君、もういないか…っ。
佐助と別れた辺りまで戻って来たけれど、既にその姿は消えていた。立ち止まりかけた桜の耳に、足音が聞こえてくる。
「何故逃げる、止まれ!」
「わ…っ!」
追いかけてきてるーっ!
大会も終わり、人も少なくなっているとはいえ、安土の市はいつも人で賑わっている。その通りを追ってくる謙信と、逃げる桜。
一度逃げてしまった手前、桜にはもう謙信を待つ心の余裕はない。
捕まったら、斬られる!
そう思ってしまうほど、追ってくる謙信には鬼気迫るものがある。
初日は捕まってしまったけれど、安土の道には桜の方が当然詳しい。脇道を曲がり、人の多い道を選び、謙信を引き離していく。
「ゆ、幸村っ…!」
謙信の姿が背後に確認出来なくなっても走り続けて、幸村の行商の屋台までたどり着いた。必死な桜の姿に目を丸くする幸村に、勢い余って飛びついた。
「なっ…お前、何…」
「お願い幸村、かくまって!」
「はあ?」
「け、謙信様が」
息が上がり、満足に説明が出来ない桜だったが、幸村には伝わったらしい。桜を屋台の奥へと押し、商品の入っていた行李に入るよう指示する。
ありがとう、と言おうとする桜を制して、幸村は人差し指を口元にあてる。慌てて口を閉じ、身を隠した桜の行李を閉じた幸村は、さらにその上から布をかける。
「おい、幸村」
「何ですか?」
あぶねー…。
不機嫌そうな謙信に何でもないふりをして返事をしながら、幸村はほっと息をついたのだった。