第3章 魚心あれば水心
「あぁ、僕は松野トド松だよ」
軽く自己紹介して、君は?と尋ねるが返事はない。
何か考えるように首を傾げている。
「…あ、名前聞かれたくない感じかな?」
本名は名乗らないだろうなとは思って尋ねる。
別に偽名でも構わないのだ。
呼び合っていると親しくなったように感じるから。
彼女は少し考えてこんでから、ふと顔をあげると柔らかく微笑んで言った。
『…私はムーメ、お水ありがとう』
彼女の人懐こく可愛らしい微笑みに、作り笑いなんだろうな、と思いつつ僕も笑顔になる。
その後は遠慮して帰ろうとする彼女を引き止めたり、ここが僕たちの事務所であることを説明していると、聞きなれた電子音が部屋に響く。
僕のスマホの着信音だ。
兄さんかな、と画面を確認すると、案の定おそ松からの通話だった。
ちょっとごめんね、と彼女に言ってから一応部屋の隅へ行き画面をタップし、耳に当てる。
「おートド松、女の子目覚めたって?
十四松から聞いたんだけど」
「うん」
「それで何ともない?」
「うん、こっちは大丈夫だよ」
「わかった。もう着くから」
「うん、じゃあ待ってるね」
短く会話して通話を切る。
会話を聞かれてる可能性を考えてか内容も当たり障りのないものだ。
インカムからこちらの様子もわかっているだろう。
「もうすぐ、兄さん達着くって」
スマホを下ろし少女に伝える。
『そうですか。ちゃんとお兄さん達にもお礼言わないとですね』
結構律儀な性格なのかもしれない。
こっちは利用しようとしているだけに少し胸が痛む。
しかし、そういえばこの子は殺し屋かもしれないんだよね、と思い直す。
「そんなかしこまらなくていいよ。
どーせあの兄さんは下心ありで助けたんだから」
僕の軽口に少女は苦笑する。
少女の素振りと雰囲気から本当にこの子が殺し屋なのか不安になってきていた。
敵意は感じられないし、本当に偶然具合が悪くて倒れたただの女の子なのではないか。