第76章 ヒソップ
「あ、そうなんですね…」
「あら…?」
野瀬が後ろを見ていたから振り返ったら、大野さんが給湯室の入り口に立っていた。
「大野さん、ごちそうさまです。今、切りましたから。デスク持っていきますね」
「はい。お願いします」
にっこり笑いかけると、野瀬と綾野は嬉しそうに切れたケーキを持って給湯室を出ていった。
俺も一緒に出ていこうとしたが、大野さんが給湯室に入ってきて、押し戻される形になった。
「へ?大野さん…?」
「あの」
ずんずん俺の顔を見ながら迫ってくる。
「な、なに。近いって…」
あれからなるべく近寄らないようにしてるのに。
大野さんはお構いなしだった。
「移動の話…」
「あ、ああ…」
「本当ですか?伸びたって」
「え、うん…って、言えないって俺からは…」
「大事なことなんです」
「え…?」
もしかして…ご家庭のことでなにか都合があるのか。
ご母堂を亡くしたばかりだから、いろいろあるのだろうか。
それとも…
「…もしかして…アメリカ、帰ろうとしてる…?」
「は?」
「え?」
「なんでそうなるんですか…俺はもうアメリカには戻りませんよ?」
「え?そうなの?」
「だから、就職だってしたんです。もしもアメリカに戻るつもりなら、正社員になんてなっていませんよ」