第56章 傾城屋わたつみ楼
わたつみ楼の中に戻ると、大階段においらんの朽葉が腰掛けていた。
「なにやってる」
「行ったの…?蒼乱さん…」
長い髪を横結びにして肩に垂らしている。
トレードマークの黄色の襦袢を纏ったままだ。
「ああ…浦島太郎が迎えに来たよ」
「そっか…」
「なに腑抜けた顔してやがる」
「だって…挨拶もさせてくれないんだもん…」
「そりゃ、蒼乱が先に娑婆に戻るんだから、気が引けたんだろうよ…」
裾を払いながら階段を登ろうとすると、朽葉が腕を伸ばしてきた。
「だっこ…雅紀…」
「はいはい…しょうがないお姫様だね…」
小さな体を抱き上げた。
「そっか…あの人、迎えに来たんだね…」
「ん?」
「ずーっと通ってきてた櫻井様でしょ?」
「うん…」
「いいな…」
朽葉は子供みたいに、指を咥えた。
5年か…
毎日、櫻井様を想って泣いていた蒼乱…
こんな日が来るなんて、思ってもみなかった。
それほど、あの二人は深く結ばれていたんだ…
そう、あの初会の夜から…
「浦島太郎は…玉手箱を開けても…戻ってきたんだね…」
「え?」
「そのまま人間界で朽ち果てないで、ちゃんと乙姫を迎えに来たんだね」
「まあ、な…」
「すごいな…」
朽葉は俺の掛襟をきゅっと握った。
「蒼乱さん、しあわせになるんだね…」
「…ああ…きっとな…」
しあわせになれ…蒼乱…
ここは苦界…
ここでのことを全て忘れて、しあわせになれ…
「雅紀…添い寝して…?」
「ばーか…そういうのは客に頼め」
「…いいもん、紫蘭ちゃんに頼むもん」
「迷惑かけんな…」
「ふん」
傾城屋わたつみ楼の夢は、まだ続く―――
【終】