第56章 傾城屋わたつみ楼
長い年月を、そこで過ごした…
海の底のような、かりそめの我が家。
海神にも見放された龍宮城が、俺の棲家だった。
「長いこと、お疲れ様でした…」
引き回しの雅紀が畳に手を付いて頭を下げた。
「こちらこそ…お世話になりました…」
昨日、俺の身に掛かっていた借金を全て精算することができた。
「…ほんとに、いいの?」
「うん…お願い…」
蒼の間で、最後に迎えた朝。
新聞紙を敷き詰めて、俺は居間に座っていた。
雅紀がハサミを持つと、俺の後ろに膝立ちした。
「じゃあ、いくよ?」
俺の長い髪を掴むと、ジャリっと音がして頭が少し軽くなった。
暫くそのまま目を閉じていると、次々と雅紀はハサミを入れていく。
「さ…これでいい…?」
手鏡を差し出してくれた。
そこに映ってるのは、俺だった。
「ありがとう…雅紀…」
「…ここに来た頃の蒼乱みたいだ…」
「ふふ…」
「ごめん…もう蒼乱じゃないのにね…」
ぽんと肩に手をおいてくれた。
「さあ、もう行きな?智」
他のお部屋にきていた、昨夜のお客様はもう帰っている。
雅紀の好意で、俺は正面玄関から外に出た。
持っているのは小さなボストンバッグひとつ。
見上げると、朝日にくっきりとわたつみ楼が映えていた。