第56章 傾城屋わたつみ楼
「ありがとう…」
呆然としたまま、水を一気に飲み干した。
「ふふ…おかわりは?」
「いや、いい…」
コップを下げると、蒼乱は俺の隣に座った。
そっと俺の手を握ると、冷たい。
「冷たい…」
「ふふ…実は、わたくしも緊張しております」
「え…?」
「だって、初めての方だし…」
そっと俺の手を自分の口元に持っていくと、指にちゅっとキスをした。
「それに…櫻井様は、とっても格好いい…」
「そっ…そんな…」
さっきまで頭に刺さっていた大量のかんざしはなくなってて。
洗いざらしの長い髪を、前髪を頭のてっぺんで結わえてあって根本は膨らんでいる。
更に長い後髪は背中で一つに縛ってあるだけだった。
漂ってくる石鹸のいい匂いに、嫌でも緊張が高まってくる。
「嘘じゃありません…こんな夢みたいな方に抱かれるなんて…嬉しい…」
そっと手を握ったまま、俺に寄りかかってきた。
「…お嫌じゃない…?」
「え…?」
「男に、こんな風にされてお嫌じゃない…?」
「あ、ああ…全然…嫌ではない」
「よかった…」
本当に、嬉しそうな声…
いや、これがおいらんの手管ってやつなんだろうが…
全然悪い気はしない。
この人になら、騙されてもいいと思った。
暫くそのままの姿勢で、蒼乱の体温を感じていた。
ふと、部屋の隅に立てかけてあるキャンバスが目に入った。
一羽の白い鳥が、大空に羽ばたいている絵だった。
その白い鳥が、蒼乱になぜか重なった。