第10章 運命の日
紫音は怒鳴るわけでもなく、静かに、でも確かに怒っているのが伝わってきた。
「そんな無責任なことするわけないでしょ?」
普段より少し低い声でそう言って、真っ直ぐあたしを見つめる。
あたしがうつ向くと、紫音は小さく溜め息をついた。
それはあたしに呆れたというよりも、自分の心を落ち着かせた様に見えた。
「花音から電話が来てからずっと考えてたことがあるんだ。」
紫音は普段の穏やかな口調に戻り、あたしの手を握った。
紫音の手の温もりが、強張った体をほぐしていく。
紫音はゆっくりと話を続けた。
「このまま国内を転々としてても、安心して暮らせる日が来るか分からない。それは、七瀬も同じ気持ちだよね?」
「…うん。」
「だから…。」
紫音は一拍置いて、あたしの手をぎゅっと握った。
「国外に、逃げよう。」
その言葉が衝撃的過ぎて、一瞬思考が止まった。
「…七瀬、大丈夫?」
紫音の声で我に返ると、次々と疑問や不安が押し寄せてきた。
「国外に逃げるって…どこに?行く宛もないのにどうするの?だいたいそんなことしたら紫音は余計に家族と距離ができちゃうじゃん。」
「七瀬を連れて逃げるって決めた時に、もう家族とは会えない覚悟をした。行く宛は一応あるよ。」
「どこ…?」
「イギリスの祖父母の所…きっと事情を話せば受け入れてくれる。俺はイギリスで仕事を探すから、そこで一からやり直そう。誰にも邪魔されずに、二人で幸せになるんだ。」
その時ふと、思い出した。
逃亡生活のための荷物を纏めている時に、何となく鞄に入れたパスポート。
最初からこうなる運命だったのだろうか。