第29章 ・ウツイの娘 その1
文緒が牛島若利の義妹になって白鳥沢学園高校に編入してから随分経つ。しかし今でも文緒が牛島になる前の姓は明かされていない。義母達から旧姓を名乗ってはいけないと固く言いつけられていた文緒は今でもそれを忠実に守り、例え相手が義兄のチームメイトであっても文芸部の仲間であっても決して口にしなかった。
だが当人や義兄が努めていたにもかかわらずそれはまさかの所から露見する。
まだ夏休みの最中で、もちろんまだまだ暑い日だった。時刻は夕方で文緒はその時義母に頼まれて夕飯の買い物に出掛けていた。必要なものを買ってさて帰宅しようとした道中である。誰かに呼ばれた気がした。聞き覚えのある声だった。しかし呼ばれた名は自分のものじゃないと認識していた文緒はそのまま歩き続ける。やがてダダッと誰かが駆け寄ってくる足音がして文緒は片方の肩を掴まれた。無視してんじゃねーよと野郎の声で言われ、文緒は渋々相手の方を向く。
「お久しぶり。」
抑揚なく呟くと相手は馬鹿にしたような笑い方をしてからこう言った。
何だよ、やっぱりウツイじゃん、と。
文緒の目が見開かれた。
一方、文緒の義兄である若利率いる白鳥沢学園高校男子バレーボール部の面々はちょうど練習が休みでまたも皆で出掛けて帰る途中だった。(細かいことは気にしてはいけない)ぞろぞろと歩くでかい奴ら、しばらくしてからの事である。
「お、」
先に声を上げたのは瀬見である。視線の先には若利が溺愛してやまない義妹の文緒、買い物袋を提げている。
「あれ文緒じゃね。」
「ああ。」
若利は頷く。義妹は誰かと一緒にいた。
「一緒にいるの誰だ、文芸部の奴か。」
「違います、今年の文芸部は野郎がいません。」
「へー、工把握してるんだー。」
「どうせあの嫁の事で余計な事言って睨まれた事があるからだろ。」
「何でわかったんですか、白布さんっ。」
「馬鹿。」
「また胡乱な奴を惹きつけてしまったか。」
流れを読まずに若利は呟く。
「あれでは文緒が買い物一つ出来ない、どうにも困ったものだ。」
「いや待てお前の発想が飛躍してる。」
山形が突っ込み川西がとはいえと呟く。