第10章 Cry Baby
脇腹を切り裂かれたところまでは記憶があった。
足立の榎本の家の前には、少なからず人通りがあって。
ちょうど家についたとき、先生が榎本の父親の背後から包丁を振り下ろすところだった。
女性の悲鳴が聞こえて、榎本の父親が振り返る。
先生が振り下ろした包丁は空を切った。
榎本の父親が、玄関の門の段差でよろめいて仰向けに倒れた。
俺は先生の前に立ちふさがって、手を広げた。
「先生っ…!駄目だっ!先生がこんなことやっちゃいけないっ!」
「櫻井さん、どいて…」
聞いたことないような低い声。
その目は、俺を見ていない。
地面にだらしなく横たわる、榎本の父親を凝視していた。
「あなたっ…!」
玄関の扉から、榎本の母親が出てくるが、足がすくんで動けないようだった。
「和也が悲しむっ…!」
そう言った俺の目を、先生は一瞬見た。
その目は、あの頃のまま変わらない優しい目だった。
でも、すぐに榎本の父親に目をやると、そのまま駈け出した。
「先生っ…!」
思わず、先生の身体を押さえにいった。
脇腹に、熱い衝撃が走った。
でも先生の勢いは止らない。
俺は急に足に力が入らなくなって、身体が後ろに倒れていくのを感じた。
そこで、記憶は途切れている。