第9章 ◆はなむけの詞を君に(神田)
カラカラと小気味良い音を立てて窓を開く。
四角く切り取られた空間の向こう側から、ふうわりと入り込んだ春風が、真っ白なカーテンを揺らしていく。
空気一杯吸い込んで、鼻をくすぐるのは桜の香り。
心地良い朝だ。
「起きてる? ユウ。もう陽は昇ってるよ」
「……ああ」
振り返れば、ベッドの上で静かに身動きする人影。
低く慣れ親しんだ声に頬を緩ませて、雪は窓際に置いていた銀の盆を手にした。
「はい。今日のメニューはとろろ蕎麦です。ユウの好きなもの。あと、タラの芽の天麩羅。旬だから美味しいよ。食欲はある?」
「ああ。でもその前に水が一杯欲しい」
「わかった」
ベッド横の棚に盆を置いて、机の水差しを手に取る。
こぽり、と水を注いだコップを手渡せば、ベッドの上で身を起こした手がそれを受け取った。
「調子はどう? 具合はいい?」
「ん、」
「じゃあさ。後で外に散歩でも行かない? あの湖の側の桜の木、もう満開なんだよ」
「道理で。やけに花の匂いが強いと思った」
「…匂い、気に入らない? だったら窓、閉めておくけど…」
「いや、いい。割と落ち着く」
「…そっか」
ベッドの背凭れに身を預け、目を瞑る。
ふわふわとカーテンを靡かせる暖かい春風。
鼻をくすぐる爽やかな甘い香り。
悪くない。
春の訪れを静かに受け入れる神田の横顔を、雪は目を細めて見つめた。
穏やかな横顔だ。
どうやら具合は良いらしい。