第5章 退紅(あらそめ)scene1
倒れている智くんを無視して、リビングに入る。
智くんは起き上がって、それに続く。
すぐに窓辺に行って、何かを確かめている。
「な、にこれ…」
なにか言っているが聞こえないふりをする。
「翔くん…なんでこんなとこにも鍵つけてるの…?」
振り返ると、真っ青な顔をして立っている智くんがいた。
「さぁ…最初からついてたよ?」
この日の為に、俺は部屋の全部の窓に内鍵を増やした。
それもキーでないと開かないように。
俺の胸ポケットに入っている鍵束がないと、智くんは外に出られない。
「翔くん…」
呼びかけには答えてやらない。
俺は背を向けてキッチンへ行く。
今日は智くんの為にとっておきのコーヒーを用意した。
飲んでくれるといいな。
リビングで佇んだままの智くんに声を掛ける。
「そんなとこ立ってないで座ったら?」
俺は、コーヒーをテーブルに置くと、ソファを指し示した。
ゆらりと智くんの身体が揺れて、ソファまで歩いてきた。
座ると、震える手でコーヒーを取る。
「どうしたの?手、震えてるよ?」
真っ青な顔を上げて、智くんが俺を見る。
いつもの余裕のある笑顔はない。
「な、んで?翔くん…」
「なんのこと?」
俺が答えないのを悟って、智くんはコーヒーを口に含む。
「それ、美味しいでしょ?わざわざ取り寄せたんだよ」
また俺を見上げる。
「今日のために、ね」
そう言うと、また泣きそうな顔になってマグカップに視線を落とした。
もうだまされない。
か弱いふりをしたって、もう俺には通用しないから。