第5章 退紅(あらそめ)scene1
その日は、家で飲んでいたら酒がなくなって。
買いに行くにしても、持って帰ってくるのが面倒で。
飲んでしまったから車の運転はできない。
タクシーに乗るなら、いっそ出かけてしまおうか。
そう思って、家を出た。
麻布までタクシーで出て、少し歩く。
童話の名前のつく目立たない看板の地下に降りて行ったら、そこには俺の行きつけのクラブがある。
なにか今日はイベントがあるのか、いつもより人が多い。
ごった返す人にちょっと辟易したが、俺はカウンターでビールを買って呷った。
ここはいつも行くクラブと違い、年齢層が高い。
派手な音楽は掛かっているが、軽薄じゃない。
たまに有名なミュージシャンも通っていると聞くが、俺は今だ会ったことはない。
顔見知りが居たので、席を作ってもらい、移動する。
「久しぶりじゃん。どんだけぶり?」
名前は知らないドレッドヘアが話しかけてくる。
「んー1年?かな」
ちょっと暗いフロアで、男女がひしめき合っている。
タバコの匂いに、香水の匂い。
雑多なものが俺を刺激する。
カウンターで派手な叫び声があがり、フロアの明かりが落ちた。
そう思うと、今度は派手な演出でDJタイムに突入した。
重低音が、心地よく響いてくる。
音楽に身を任せていると、少し気が紛れた。
何杯目かのビールを飲み終わった時、ドレッドヘアが言った。
「恋の悩み…?」
ドキっとしたが顔に出さない。
「俺も若い時、悩んだらよくディスコ通ったもんだよ」
このドレッドヘア、年齢がわからないが、ディスコってことは齢がいっているらしい。
俺の耳元に口を寄せてきた。
「これ、使ってみる?」
そういうと、胸ポケットから白い粉を出してきた。
「や、俺そういうのは…」
「わかってるって。芸能人だもんねぇ。ヤクじゃねえよ。自白剤」
一瞬、耳を疑った。
「え?何いってんの?」
「大丈夫、モノはしっかりしてるから」
そう言って、無理やり俺の手に握らせてきた。
「俺、あんたのこと好きだから誰にも言やしないよ」
にやっと笑ってドレッドヘアは親指を立てた。
「でも…」
「身体にゃ残らない。これはな、ある国で使われてるものでな。横流ししてもらったんだ」
そういうと、一呼吸おいた。
「これ使えば、彼女の気持ちききだせるぜ?」