第5章 7月
―赤葦京治と猫の返却―
体育館には音駒の人間がいなかったので外に出る為、赤葦さんのスニーカーが置いてある正面の入り口に向かう。
隣に並んで歩く二人の間は、不自然な程に距離が開いていた。
「変な事に巻き込んでごめんね。でも木兎さんも悪い人じゃないんだ」
静かに、どこか冷めたような物言いで赤葦さんが言う。
思い出すのは、木兎さんのにっこり笑った顔と差し出された大きな手。
確かに引っ張られたのはびっくりだったけど、木兎さんは…。
「…あ、あの……木兎さん、は…いい人、です」
赤葦さんは突然歩みを止め私を見下ろす。何か余計な事を言ったのかと私も慌てて立ち止まる。
(木兎さん"は"だと、他の人がいい人じゃないみたいに聞こえた、かな…)
赤葦さんがじっと見つめてくるから、怒らせてしまったのかとビクビクしていたら。
「お兄さんが君を心配する理由がわかった気がする」
赤葦さんはポツリ呟くとまた歩き出した。
(…怒って、る?…怒って、ない?)
私たちの距離は開いたまま。
まるで見えない壁か溝でもある様な気がしてくる。
赤葦さんの気分を害さないようにと気を張っていたのに、…そんな事を考えれば考える程、強い吐き気が襲ってきた。
体育館と玄関を繋ぐ廊下で、私は壁に寄りかかる。
額からこめかみに冷えた汗が伝う。
「おい大丈夫か?」
心配そうな表情を浮かべる赤葦さんが見えた。
「……吐き、そう」
口に出すと同時に体重を支えきれず膝がガクリと折れる。胃がギュッと収縮して、消化中の朝ごはんが出てきそうになるのをお腹に力を入れて耐えた。手の先から足の先までゾワゾワとした感覚が走って涙が出る。
その瞬間、ふわりと身体が抱き上げられる。
「少しだけ我慢して」
気付いたら赤葦さんにお姫様抱っこされていて、身体が触れてる部分からあたたかな体温を感じる。
目の前で起こっている出来事に頭がついて行けず、訳の分からないまますぐ近くのトイレに担ぎ込まれた。