第359章 あとがき
浮竹を土俵に上げることになった経緯は 私のいたずらごころです。
「うちの夢主なんだから幸せの絶頂期に不幸になって貰わないと!」という酷い発想から 浮竹を土俵に上げることとなりました。
ええ。つまり最初から救いはありません。浮竹は物語通り死ぬ予定でした。
芭蕉臨に関しては 生きてるパターンと死亡したパターン二つ書きました。
最初は生きてるパターンだったのですが、私の「お前も死んどけ」という発言一本で殺されました。
ドンマイ臨。あ、まって構えないでよけれないから!(運動神経はない)
今後 臨は地獄が現世や尸魂界に溢れないように調整する楔として 存在することになります。
霊王の右腕なども、個人的解釈として世界のバランスを保つ為の杭みたいなものだったのかなということで。
まあ今後に関しては また次の章で明かされていくでしょう。
臥豚殿にいる曳舟の料理の師は 臨です。
伊達に長生きしていません。
零番隊に上げられた時点で 曳舟は臨の存在理由とその正体を聞かされていましたが、彼女はそれでも臨を尊敬し続けました。
彼女たちがどんな過去の関わりを持っていたのかはわかりません。
臨が洗脳されていた下り。
洗脳されていた と言っていますが、正確にはユーハバッハと再会後 恐怖により従うしかなかった……ように見せていた演技でした。
つまり 芭蕉臨は自分の意志で 山本元柳斎重國を殺したということです。
何故自身の手で殺したかというのは 読者様の想像におまかせしたいと思っています。
ただ ユーハバッハを最初から殺すつもりだった ということだけは そこはかとなく頭の片隅に置いとくといいかもしれません。
兵主部を殺し 全ての記憶と名を取り戻しても 臨は世界を憎んではいませんでした。
過去には憎んでいたのですが、それ以上に世界には彼女の好きな人やモノで溢れていた為 世界を壊そうという気は起きていませんでした。
その反面 半身である霊王の望み 世界の崩壊を叶えたいという気持ちやらなんやらで 最終章の臨の気持ちはぐじゃぐじゃでした。
手首に残った以前の跡が 彼女を冷静に保てていたのかもしれません。