第13章 【真夜中の冒険】
奥が見えないんじゃなく、とっくに見えていたのだ――闇の中に溶け込むほど、大きくて黒い毛並みが。そしてゆっくりと視線を上げていくと次第に明らかになるソイツの全貌に、クリス達は残らず声を失った。高さが3メートル以上あるだろう部屋の天井すれすれまで届く巨体に、太く鋭い牙、獲物を捉えて放さぬ大きな6つの目。その姿はいつか本で見た地獄の番犬・ケルベロスそのものだった。
「――ぅ…ぁ……ぁ、ぁ……」
人が本当の恐怖に出会ったとき、怖いという感情も叫び声もすぐに出るものではないと、クリスはこの時初めて知った。グラスに水を注いでいくように、徐々に、徐々に恐怖が体を満たしてゆく。
どうしてこの部屋に入ってすぐケルベロスに襲われなかったのかは分からない。たまたま運が良かっただけかもしれないし、相手も突然人がなだれ込んできたので戸惑っただけかもしれない。だがどちらにせよ、幸運はここまでのようだった。ケルベロスの3つの頭がクリス達を捉え、凶暴な牙の間からダラダラと涎をたらし、雷鳴のような唸り声を上げている。
「ぁ……ぁぁあ、ぅぁああ……っ!」
限界だ。クリスの中にあるグラスの水は縁ぎりぎりのところまで注ぎ足され、今にも溢れんばかりに水面が揺れている。どうしてここに鍵が架かっていたのか、どうして4階の廊下が立ち入り禁止になっていたのか、全てはこいつの為だったんだ。こいつがいたから、ダンブルドアはここに生徒が近寄らないようにしたんだ。こいつに……
「今学期中は4階の廊下に入らないように。とても痛い死に方をしたい人は、別じゃがな」
“ 殺 さ れ る ”
「うわあああああぁああぁぁーー!!」
ついに最後の1滴が注がれグラスの水が溢れ出したとき、『何か』が己の肉体の内側から破裂するような感覚が襲った。それと同時に、クリスは再び声を失った。予想だにしていなかった光景に、一瞬恐怖をも忘れ去ってしまったのだ。
ハリーとロンが半ば狂ったように扉の錠を回すが、思うようにいかずもたつき、その背後からケルベロスが襲おうと身構える絶体絶命の恐怖の中、クリスはただ一人呆然と杖を見つめていた。――信じられないことにクリスの腕の中で、薄いショール越しに召喚の杖が淡い光を放っていたのだ。