第3章 暗れ惑う
「たのむ、五虎退を返してくれ」
男は、その場から動かずに請うた。
それに柚子は表情を変えもしなければ、眉をぴくりともすら動かさずに、口を固く閉ざした。
あちらの条件を飲むこともせず、こちらの要求だけ呑めなどということが勝手だとは百も承知。
ただ、どうしても柚子の提示する条件を承諾するわけにはいかなかった。
そして、五虎退を諦めることも男にはできなかった。
「なあ、頼むよ」
泣きそうな声で、男は再び請う。
打つ手など何一つ思いつかなかった。
他の刀剣男士が現状に気づいたとして、五虎退を糧にされればなす術はない。
男は血がにじむほど強く、下唇を噛んだ。
和泉守兼定と今剣が重傷であるにもかかわらず殺気を飛ばし、一瞬でも気をぬくまいと成り行きを見つめる。
ざり、とそれほど大きくない石同士が擦れる音が、その空間に響く。
男は乱藤四郎の制止も聞かず、柚子のすぐそばまで近づいた。
そして、なんの迷いもなく膝をついたのだった。
「お願いします。五虎退を、返してください」
まるで、聞いている者の胸を締め付けるような声。
男は誇りも見栄も、主としての地位も何もかもをかなぐり捨てて、その額を地面にこすりつけた。
その瞬間、三口は息を呑む。
頭を垂れる姿は、刀剣男士にとってあまりにも衝撃的なものだった。
己の主に頭を下げさせてしまったという後悔と、矜持を傷つけてしまったという罪悪感。
そして、主につく自らの誇りすら、ずたずたにされるような感覚。
否、感覚などではない。
今この場にいる三振りの刀剣男士の誇りは、確かに踏みにじられていた。