第16章 指輪
…そんなわけで、
俺は今、ケーキ屋の前に立っているのだ。
もう、閉店間際。
まだ、ホールケーキ、残ってるか?
『あら、珍しいこと。
坂ノ下の兄ちゃん、いらっしゃい。』
『おばちゃん、ケーキ…丸いの…』
『誕生日用は、もう売り切れだねぇ。』
ガーン (゜ロ゜;
スカスカになったショーケースには、
一つだけ、丸いケーキがある。
宝石みたいにキラキラしたイチゴが
隙間なく並んだ、真っ赤なケーキ。
『おばちゃん、これ!これくれ!』
『イチゴタルトでいいのかい?
いつもは売り切れるんだけど、
今日は珍しく、残ってたんだよ。
よかった、最後に買ってもらえて。』
…いや、こっちこそ残っててよかった…
『なんか祝い事かい?
メッセージプレート、つけようか?』
『…祝い事じゃねーけど。』
『お誕生日おめでとう?』
『いや…』
『結婚記念日かなんかかい?』
『いや、俺、まだ独身…』
『あれ?!もしかして、プロポーズか?』
『いや…』
…だんだん、言いにくくなってきた…
『??そんじゃ、何だい??』
『………さい、もう………』
『え?』
『…ごめんなさい、もうしません。』
『え?』
えい、ヤケクソだ。
『おばちゃん、
"ごめんなさい、もうしません"って
書いてくれ!』
『ええと、メモするわ。
…ごめんなさい…で、なんだっけ?』
『もう、しません!』
『"ごめんなさい、もうしません。"
これで間違いないかい?』
『…その通りです…』
『何、したんだい?
…ま、余計なお世話だね(笑)
おーい、あんた!
メッセージプレート、書いておくれ!』
『誕生日のなら、そこにあるぞ。』
『いや、ちょっと特殊なんだよ。』
のれん1枚で仕切られた工場。
中の声がこっちまでよーく聞こえる…
『ほう、こりゃまた。
35年のケーキ職人人生で初めて書く言葉だ。』
…そりゃそうだろうな…
俺も、苦笑いするしかない。
『"ごめんなさい、もうしません"っと。
…これでいいかな?
で、何、しでかしたんだ?』
『知らないよ(笑)』
『仲、いいな。』
『かわいいもんだね。』
…中の夫婦の声が、全部、聞こえる。
この熟年夫婦にも、
何度か危機があったんだろうか?
言葉に、長年連れ添ったからこその
暖かさが感じらて…
なんだかうらやましかった。