第57章 最後に見た彼は 椚章臣
「やっぱり、あなたの方が上手ですよ。」
音楽室にて。
斎藤は、静かに朔間と向き合っていた。
「教えることなんてないのですが…。」
「…………何言ってるの、俺下手くそだよ」
朔間は何だかムキになったように言い返した。
「ふむ………………朔間、こんな話を知っていますか?とある少女のお話です。」
「え…何?俺、本とかあんま読まないよ?」
斎藤はにっこり笑って床に直接座り、白衣が皺にならないようにそっと整えた。
「少女には好きな人がいました。」
「…………恋愛の類なの…?読んだこともないよ……」
挟まれたその言葉を、斎藤は無視した。
『はるひ、またあの人うろうろしてるー。注意してきてよ。』
きっかけは、友達の声だった。
「好きな人と望んだ通り、恋人になれました。」
『ひ、一目見たときから好きです、つ、付き合ってくれませんか!?』
注意しに行ったらそこにいたのは一つ年下の後輩で、しかも開口一番のセリフがこれだった。
「彼には夢がありました。少女が抱いていたものより、壮大な夢でした。だから少女は、自分の夢を諦めて彼の夢を支えることにしました。」
『私、何があってもずっと応援してるからね。』
「彼はとうとう夢を叶えました。が、少女とも疎遠になっていきました。」
『今日もメール来ないなぁ…。テレビとか雑誌では毎日見るけど、働きすぎて体とか壊さないといいけど。』
「そして、彼の夢は果てました。何もかも終わったあと、少女は彼に会いにいったのです。」
『お疲れ様』
小さな花束を鞄に忍ばせて、そう彼に言うつもりだった。
でも言葉は出てこなかった。
「少女が気づいたときにはもう、何もかも遅かったのです。」
『…アイツ、けっこう苦しんでたみたいでさ…俺も色々カバーしたんだけど。はるひちゃん、何も聞いてないの?』
『………聞いてない…何も知らない…』
佐賀美の言葉は斎藤に突き刺さった。
彼は幸せだったのだろうか、最後に見た背中はいったい何を背負っていたのだろうか。