第54章 自己犠牲は美しい、そして 葵兄弟
「ただいま」
私が家に帰るのは決まって空が暗くなってから。
「行ってきます」
ヒロが家を出るのは、決まって空が暗くなってから。
律儀に挨拶をするけれど、家には誰もいない。親が結婚記念日で旅行中なのだ。
不登校の息子と帰りの遅い娘に何も言わないような自由主義の両親だけど、嫌いじゃない。
私達双子はすれ違う。
同じ時を共有することなんてない。
でも、今日は違った。
「ヒロ」
私は出掛けようとする片割れの名前を呼んで違和感を覚えた。それくらい、彼の名前を呼ぶのは久しぶりだった。
「何?」
怒るわけでも、優しくするわけでもない。単純に無感情なトーンで、靴箱の中に手を突っ込みながら言った。
「学校、行かないの?」
何となく葵くんたちの会話が引っかかっていた。
私は人間だ。人間には個性がある。自由主義なのは両親の個性。ならば、これは私の個性。
不登校の片割れを自由に放っておけるほど、私は甘くない。
「だって意味ないじゃん」
「どうして」
「プロデューサーなんて、所詮誰かのためってだけじゃん」
「所詮?」
「自分の為じゃないし」
ヒロは靴箱の中からスニーカーを取りだし、叩きつけるように玄関に置いた。荒々しい物音が玄関に響く。
「自分の為じゃないけど、他人の為にしたことは自分に返ってくるよ。」
「はぁ?何時代の話してんの?寒いんだけど。」
「平成の話をしてるの。引きこもりすぎてボケたの?」
段々、お互いの声がヒートアップしていくのがわかる。やばい雰囲気になったと思う頃には遅かった。
ヒロが私の制服の襟元を掴んだ。首もとが絞まって苦しい。
「お前と俺は違う!!!写し鏡じゃねえんだよッ!!!」
そう叫んだあと、ありったけの力で私を突き飛ばした。私は玄関に転がりこむも、すぐに体制を立て直した。
「……………………………………………………ばっかじゃないの」
やられたまま引っ込むほど、私は甘くない。私の個性は甘くないことなのかな。
スクールバックの紐を握りしめ、振りかぶる。ヒロに向かって投げつけてお腹の辺りに当ててやった。呻き声をあげてよろめく片割れの目に、憤怒の感情が宿りだした。