第83章 悪気のない天然の方が罪な事もある。
一郎「おい、待てよ葵咲!」
突如走り出した葵咲の後を慌てて追い掛ける一郎兵衛。
一郎兵衛の呼び止めを聞いた葵咲は、その足は止めずに振り返りながら彼を睨む。
銀時「一郎君が銀ちゃんを逃がしたんじゃないでしょうね?」
ギクリ。
鋭い指摘に一郎兵衛の心臓は大きく脈打つ。冷や汗を垂らしながら思いっきり首を横に振った。
一郎「まっ、まっさかァ!違うから俺も一緒に探しに来たんだってェェェェェ!!」
妖しい様子の一郎兵衛に、なおも疑いの目を向ける葵咲。万事休すか、そう思ったその時、その場を紛らわせてくれる一郎兵衛にとっての救世主が現れた。
「銀時と一郎兵衛ではないか。」
声を掛けられて足を止める二人。そこには煙管を吹かしながら歩み寄る月詠の姿があった。一郎兵衛は思わぬ救世主の登場に満面の笑みで右手を挙げて挨拶を交わす。
一郎「おぉ!久しぶりだな。その節は世話んなったな。」
月詠「大した事はしておらん。」
一郎兵衛が吉原を出て、残った花魁達で華月楼を立て直す事になった。楼主のいなくなった廓を立て直すのは容易い事ではない。
そんな花魁達に一番に手を差し伸べたのは月詠だった。一郎兵衛は当初、華月楼を出る事に少なからず後ろ髪を引かれる思いがあった。だが月詠達、百華の人間を筆頭に、その他吉原の人間達が手を貸してくれた事で、安心して吉原を出られたのである。
一郎「華月楼はどうだ?」
月詠「順調じゃ。経営も安定してきておる。」
一郎「そうか、良かった。」
一郎兵衛は、吉原を出る人間が下手に首を突っ込む事を良しとせず、落ち着くまでは極力関わらないようにしていた。その為、今の華月楼の状況を訊くに訊けなかったのだが、今はちょうど良い頃合い。思わずその思いが口から飛び出てしまったのだ。
そんな一郎兵衛の想いを察した月詠は、フッと呆れたように笑い、思った事をそのまま口に出す。
月詠「気になるなら顔を出したらどうじゃ?お前の元気そうな姿を見ればあいつらも喜ぶぞ。」
一郎「そうだな。俺の方も、そろそろ落ち着きそうだし、近々遊びに行くとするわ。」
二人の暖かい空気に、葵咲の心も温かくなる。二人を見守るその顔は、気が付けば優しい笑顔になっていた。