第66章 男心を掴みたいならまずは胃袋を掴め。
菊之丞「華月楼に訪れる方は、位のある人や、それなりにお金を持っている人です。…こんなところに来るような人ですから、貴女も蝶よ花よと育てられた方なのだと思っていました。ですが…違っていたのですね。」
葵咲「!」
一瞬、華月楼の客として不信感を抱かれているのかと思った。だが菊之丞の声のトーンは至って穏やかで、何かを詮索している様子ではない。ただ葵咲という人物を見ているようだ。
菊之丞は葵咲の手の甲を優しく撫でながら、再び葵咲へと視線を向ける。その真っ直ぐな瞳に嘘はつけなかった。葵咲は素直に胸の内を明かす。
葵咲「…そう、ですね。そういう生活は私には縁遠いものです。生まれも育ちも、決して良いと言えるものではなかったと思います。」
菊之丞「・・・・・。」
葵咲「でも、不幸だったわけではないですよ。そんな生活だったからこそ、その中で沢山のかけがえのない人達に出会えました。」
菊之丞「貴女は…何故ここに来たのですか?そんな方が何故遊郭なんかに?」
何かを疑っているわけではない。菊之丞の中に浮かんだ素朴な疑問だった。たった三日の付き合いではあるが、菊之丞は葵咲と接し、葵咲という人となりが分かり始めている。純粋に葵咲が遊郭で男を買い漁るような、遊んでいる女には見えなかった。
菊之丞からのこの質問は、先日の獅童のそれとは違う。適当な言い訳をすれば折角開きかけている心を再び閉ざしてしまうだろう。葵咲は一呼吸置いてから、その質問に真剣に応えた。
葵咲「・・・・最初は…とある目的があって華月楼(よしわら)に訪れました。けど、今ここに通っているのはそれが理由ではありません。」
菊之丞「?」
葵咲「…凄く、寂しそうな目をしてたから。菊之丞さんを初めて見た時、その瞳に寂しさを感じたから…。」
菊之丞「!」
少し驚いた表情を浮かべる菊之丞。そんな答えが返って来るとは思っていなかった。葵咲は自分の手元へと視線を落とす。