第66章 男心を掴みたいならまずは胃袋を掴め。
食事を終え、菊之丞は箸を置いて手を合わせる。
菊之丞「ごちそうさまでした。手を見せて下さい。」
葵咲「え?」
唐突な投げ掛けに葵咲はきょとんとする。菊之丞は返答を待たずに葵咲の手を持ち上げた。
菊之丞「これは…女中仕事の勲章…“古くから積み重なる傷”ですね。」
葵咲「! あまり人に見せられるような手では…。」
葵咲の手は毎日の水仕事によりアカギレで荒れている。最近はハンドクリームを塗ったり、ゴム手袋を着用したりもしているが、長年の積み重ねは早々には治らない。その事を恥ずかしく思った葵咲は手を引っ込めようとするが、菊之丞は手を離してはくれなかった。
菊之丞「恥じるような手ではないですよ。綺麗な手です。ですが、このままでは悪化してしまいますね。こちらも薬を塗っておきましょう。」
そう言ってやっと手を離す菊之丞。箪笥の引き出しから昨日とは別の薬壷を取り出した。葵咲は手当てをしてくれる菊之丞を眺めながらボソリと呟く。
葵咲「菊之丞さんって…お医者さんみたいですね。」
菊之丞「!」
葵咲からの指摘に眉をぴくりと動かす菊之丞。菊之丞は視線を逸らし、葵咲の手当てを続けながら言った。
菊之丞「…何故、そう思うのです?」
葵咲「薬を扱ってるその姿と…手際良く手当てをして下さる所作、でしょうか。」
菊之丞「…私はただの花魁ですよ。」
葵咲「・・・・・。」
何か引っ掛かるものを感じる。違法薬物の話は菊之丞が独自に扱っている薬の件で、噂が一人歩きしてしまったのではないだろうかと思った。だがそれを深く追求する事は出来ず、沈黙を落としてしまう。
少しの間が開いた後、菊之丞が静かに口を開いた。