第66章 男心を掴みたいならまずは胃袋を掴め。
葵咲「私が作ったかどうか疑いました?出来合いの詰め合わせじゃないですよ。これでも一応栄養士の資格も持ってるんです。」
菊之丞「へぇ。意外ですね。」
別にそこを疑ってたわけではなかったのだが、栄養士の資格持ちというのは意外だった。菊之丞はさらりと嫌味を言うが、葵咲は気付いていない。嫌味をスルーして補足を付け加える。
葵咲「私、住み込み女中の仕事してるんですよ。」
菊之丞「それはまぁ、見れば分かります。」
葵咲「?」
葵咲の手元をチラリと見て頷く菊之丞。そんな菊之丞に、葵咲はきょとんとした眼差しを向けて小首をかしげる。葵咲の態度に気付いている菊之丞だが、それには答えず箸を取って手を合わせた。
菊之丞「では折角ですので頂きます。」
綺麗な箸使いでひじきの煮物を一掴み。菊之丞はとても上品にそれを口に運ぶ。それらの所作から、菊之丞は良い家柄の出身ではないかと思えた。
葵咲は菊之丞の様子をまじまじと見つめながら恐る恐る声を掛ける。
菊之丞「!」
葵咲「・・・・どうですか?」
菊之丞「・・・・・。」
何も言わない菊之丞。マズかったのだろうか。葵咲は申し訳なさそうな顔を浮かべながら言葉を押し出す。
葵咲「お口に合いませんでした?」
菊之丞「いえ…。凄く、美味しいです…。」
決してお世辞を言っている様子はない。いや、菊之丞の性格を考えるとお世辞を言うタイプではないだろう。何なら美味しくても“まぁまぁ”とか言いそうだ。それをしみじみと賞賛してくれる態度は葵咲の心に響いた。葵咲は両手を前に合わせて満面の笑みを浮かべる。
葵咲「本当!?良かったー♪」
心底嬉しそうな顔を浮かべる葵咲。そしてそれを見つめる菊之丞。その視線に気付いた葵咲は菊之丞に視線を合わせる。
菊之丞「…貴女は、本当に不思議な方ですね。」
葵咲「?」
菊之丞「今までここにお弁当を持ってきた人なんていません。貴女が初めてですよ。…誰かの手料理を食べたのなんて、何年ぶりでしょう…。」
弁当を見つめながら静かに話す菊之丞。それは寂しそうにも見えたが、菊之丞に少し近付けた気もした。
葵咲は優しい笑顔を菊之丞に向ける。
葵咲「沢山作って来たのでしっかり食べて下さいね。」