第65章 『お客様は神様』って台詞は店側が言う台詞。
先程の応急処置といい、打身の手当てといい、素人とは思えない手際の良さだ。葵咲は不思議に思いながら施術を受けていると、菊之丞は何かに気付いたように眉を上げた。
菊之丞「ん…?この傷は…」
葵咲「ああ、前に刺された時の傷です。」
物語は雪月花第三十章に遡る。高杉との抗争の際に刺された傷の事だった。腰の腫れに薬を塗っていた菊之丞はその近くにある傷口に気付いたのだ。
菊之丞「そうですか。なるほど、刺されて…って、えぇっ!?刺された!?」
フンフンと流すように聞いていた菊之丞だったが、思わぬワードにノリツッコミ。驚いた表情で葵咲の横顔を見つめるが、葵咲は笑顔で答える。
葵咲「大丈夫です。もう痛みはありませんから。」
三週間の入院療養もあり、今では痛みも後遺症もない。だが、その笑顔に無理を見た菊之丞は心配そうな顔を向ける。
菊之丞「ですが…、“傷”が残っていますね。」
葵咲「・・・・・。」
菊之丞の示す“傷”という言葉が何を指しているのか、葵咲にも何となく分かった。葵咲は少し考えるように俯いた後、眉尻を下げて言葉を押し出しす。
葵咲「仕方ないですよ。悪いのは…私ですし。」
菊之丞「…言いたくない事は言わなくて結構です。貴女の事を詮索するのは私の仕事ではありませんから。」
そっとしていてくれるのは有難いが、少し距離を感じる。菊之丞は今回の調査の被疑者だ。あまり近付きすぎるのは好ましくない為、その方が良いのかもしれないが、微妙な距離感に寂しさを感じた。菊之丞は葵咲の傷口をまじまじと見ながら言葉を紡ぐ。
菊之丞「それにしても…貴女は相当悪運の強い人なのですね。この傷口、内臓に傷は付かなかったのでは?」
葵咲「!…そんな事まで分かるんですか。」
菊之丞「大体の位置から、ね。」
葵咲「・・・・・。」
鋭い考察に葵咲は目を丸くするばかり。手当ての最中、二人はそれ以上会話は交わさなかった。