第65章 『お客様は神様』って台詞は店側が言う台詞。
菊之丞「もう二度と華月楼には来ないで下さい。いや、吉原に足を踏み入れないで下さい。」
「っ!」
華月楼どころか吉原自体への出入り禁止。その言葉に女は青ざめた様子で言葉を失う。二人のやり取りを見るに見兼ねた葵咲は二人の間に割って入った。
葵咲「いくらなんでもそれは酷いんじゃないですか?」
菊之丞「何を言って…」
その言葉に菊之丞は葵咲の方へと向き直って目を丸くする。まさか葵咲から反論を受けるとは思ってもみなかった。葵咲は驚いた様子の菊之丞には構わず、暖かい笑顔で女の方へチラリと目をやり、再び菊之丞へと視線を合わせた。
葵咲「彼女は、菊之丞さんの気を惹きたかっただけ。それだけ貴方が好きなんです。ね?」
「…!私…私…!わぁぁァァァ!!」
昨日洗礼を与えた相手からの助け舟。その優しさに触れて女の瞳からは涙が零れ落ちた。葵咲はそんな女を抱き寄せ、頭をぽんぽんと優しく撫でる。女は堰を切ったように大粒の涙をポロポロと流す。菊之丞は少しの間、葵咲の胸の中で涙する女を見ていたが、軽くため息を吐いて首を横に振った。
菊之丞「…分かりました。もう好きになさい。ですが、今は彼女を放して頂けますか?」
葵咲「あっ!ごめんなさい!」
菊之丞の言葉を聞いて慌てて女を放す葵咲。それを見て菊之丞は真顔で冷静なツッコミを入れる。
菊之丞「いえ、貴女じゃなくて。」
だがそんな菊之丞のツッコミは耳に届いていないのか、葵咲は慌てた様子で女に頭を下げる。
葵咲「すみません、血で着物汚れちゃったら大変!」
菊之丞「気にするところソコ!?…やれやれ。」
そう言って菊之丞は再びため息を吐いた。だが、今度のため息はこれまで見たような冷めたものでもなければ、怒っているわけでもない。その眼差しはとても優しく、暖かなものだった。
菊之丞は葵咲の腕を取り、簡単な止血処置を施す。そして血が止まった事を確認してから、隣で様子を眺めていた新造へと声を掛けた。
菊之丞「葵咲さんを私の部屋に案内して下さい。私はこちらの方を玄関までお送りします。」
新造「分かりました。」