第65章 『お客様は神様』って台詞は店側が言う台詞。
騒ぎを聞いた葵咲と新造は、騒動の場所へと足を向ける。そこには荒れた様子の獅童と、昨日葵咲へと絡んできた女のうちの一人がいた。獅童は女を睨み付けながら怒声を浴びせる。
獅童「テメー菊の客だろうが!」
「それは昨日までの事。今日から私は貴方をご指名致します。貴方の方が素敵だって気付いたの。」
会話の内容から察するに、この女は指名を獅童に換えた様子。乗り換える事への申し訳なさが少しでもあるのか、手土産を抱えている。持っているのは風呂敷に包まれた木箱。女は風呂敷を広げ、木箱の蓋を開けて獅童に差し出した。中身は日本酒の酒瓶のようだ。獅童はそれを見て機嫌を直すどころか、余計に苛立った様子で顔を歪めた。
獅童「白々しい嘘ついてんじゃねぇ。知ってんだよ、アンタ昨日菊に拒否られたんだろ?」
「!!」
その言葉に一気に顔色を変える女。女は先程までの艶やかな態度を一変し、開き直った様子で獅童を見上げる。
「…だったら何だと言うの?私は客よ?貴方、菊之丞様から客を横取りする事もしばしばなのでしょう?だったら…」
獅童「それは俺が気に入った女の話だ。菊の次に俺を選ぶなんざ良い度胸してんじゃねぇか。テメーみてぇな女、俺ァ一番嫌いなんだよ。」
そう言って獅童は目の前に差し出されていた酒瓶を手に取り、壁へと叩き付けた。
「ひぃぃっ!!」
女は恐怖のあまり青ざめ、腰を抜かして尻餅をついた。
割れた酒瓶の破片は四方八方へ。そのうち一つの破片が宙を舞うように上へと飛び、女の頭上へと落ちてきた。
葵咲「危ない!」
それに気付いた葵咲は素早く女のもとへと滑り込む。女を庇いながら落ちてきた破片を左手で跳ね除けた。
獅童「!?」
「あっ…貴女…っ!」
突如現れた葵咲に驚いた様子の女。葵咲は女の肩を掴みながら心配そうな眼差しを向ける。
葵咲「大丈夫ですか?怪我は?」
「私より貴女が…!」
掴まれていた葵咲の左腕からは血が流れ出ていた。どうやら破片を掃った際に切ってしまったらしい。切り方が悪かったのか、結構な出血量である。だが葵咲は自分の怪我には構わず、女の怪我が無い事を確認して安堵の笑顔を見せた。