第63章 草食系男子だって中身は獣。
一方、獅童が近付いて来ている事になど気付いていない葵咲は、菊之丞の顔を見ながら考えを巡らせていた。
(葵咲:私が遊郭初めてって事バレちゃったし、ここは名前も知らない体(てい)にした方が良いかな。)
ある程度遊郭に慣れている人間ならば、その評判から菊之丞を尋ねて来たとも言えるが、遊郭自体が初めての人間が菊之丞の名前を知っているのは不自然だと考えたのである。勘の良さそうな菊之丞だ。菊之丞の名を知っている事から勘ぐられて潜入捜査がお釈迦になったら元も子もない。
葵咲「あの。お名前、何て言うんですか?」
菊之丞「名前など知って何の意味が?」
怪訝な顔付きで葵咲の方を見やる菊之丞。だが葵咲はそんな疑いの眼差しにも負けずに笑顔を向ける。
葵咲「次来た時に貴方を指名しようと思って。」
菊之丞「・・・・・。」
葵咲の発言を聞いて、菊之丞は暫く考え込むように沈黙を落とした。そして葵咲からは視線を逸らして冷たい表情で答える。
菊之丞「…菊之丞です。ですが私は貴女からの指名を受けるつもりはありません。」
葵咲「!」
突き放すような一言に目を丸くする葵咲。葵咲が言葉を詰まらせていると、菊之丞が葵咲へと向き直ってその理由を付け加えた。
菊之丞「貴女は私の客に相応しくない。私は貴女を抱く気になどなれませんから。」
その表情は冗談を言っているものではなく、本気で言っている様子。このままでは潜入捜査にならない。どんな言葉を返せば客と認めて貰えるのだろうか…そう考えを巡らせていると、葵咲の背後から男の声が上がった。
「じゃあ俺が貰っても良いってわけだ?」
菊之丞「! 獅童…。」
声の主の方へと目を向ける菊之丞。つられて葵咲も振り返る。見ると獅童がこちらに向かって歩いて来ていた。一緒にいた女も獅童の後を追って来たのか、三歩後ろを歩いて来る。
(葵咲:! この人が…。)