第63章 草食系男子だって中身は獣。
華月楼内に怪しい部屋等はないか、怪しい取引を行なっている者がいないか、またはそのような会話をしている者はいないか…。周囲に気を配りながら奥へと進んだ。
だがそう上手くはいかず、少し進んだところで背後から声を掛けられた。
「そこで何をしているのです?」
葵咲「!? あっ…。」
ビクッと背筋を凍りつかせる葵咲。鋭い声に思わず冷や汗が流れ落ちる。恐る恐る振り返ると、そこには先程二階にいたはずの菊之丞の姿があった。連れ添っていた新造達の姿はなく、菊之丞一人だ。葵咲の顔を見た菊之丞は少し目を大きくして口を開いた。
菊之丞「貴女は先程大広間にいた…。」
葵咲「! 覚えていらっしゃるんですか。」
まさか覚えてくれているとは思わなかった。確かに目が合ったように感じたが、気のせいだと思っていた。その場にいたのは葵咲だけではなかったからだ。コンサート会場等でよくある感覚、舞台の上の人間と目が合ったように感じる錯覚のようなものだと。
葵咲が少し驚いた表情をしていると、菊之丞は冷静な顔つきに戻って葵咲に言葉を掛けた。
菊之丞「私はこの数分で人の顔を忘れるような阿呆に見えますか?」
葵咲「あっ、いえ!そういう意味じゃ…。」
これから近付こうとしている人に悪い印象を与えるわけにはいかない。葵咲は慌てて取り繕うように首を横に振った。そんな葵咲を見て、菊之丞は視線を逸らしながら目を瞑る。そして持っていた扇子を広げ、口元を隠しながら言った。
菊之丞「人の顔を覚えるのは得意なんですよ。それが仕事ですし。」
葵咲「そうなんですね。」
なんだかとっつきにくい。そんな印象の菊之丞にどんな言葉を返して良いのか分からない。下手な言葉を掛けて機嫌を損ねてしまえば潜入捜査が打ち切りになってしまう。葵咲がたじたじとしていると、菊之丞が再び葵咲に目を向けながら質問を投げ掛けた。
菊之丞「貴女、ここは初めてのように見受けられますが、こんな場所で何を?」
葵咲「えっ!?」
ギクリ。
突き刺さるような菊之丞の鋭い視線は、嘘を見抜かれてしまいそうで一気に背筋が冷たくなった。葵咲はついクセで視線を泳がせながら言い訳を述べる。