第63章 草食系男子だって中身は獣。
突然声を掛けられてうろたえてしまう葵咲。心の準備がまだ出来ていないまま、葵咲は華月楼へと入った。緊張のあまり背筋は伸び、両手両足が同時に出てしまう。そんな様子を見ていた土方と山崎は不安げな眼差しを向けていた。
土方「あいつホントに大丈夫か?」
山崎「さぁ。」
足を踏み入れた華月楼(せかい)は、まるで別の異次元へと繋がっているようにも思えた。内装も煌びやかで、屏風や襖には金の装飾が施されている。館内は誘惑されるようなお香の香りが漂い、綺麗に奏でられている箏の音が心地良い。油断すると心を持っていかれそうだ。
葵咲は昨夜の土方とのやり取りや言葉を思い出し、自分の頬をパンパンと叩いた。意識を保とうと気合を入れていると、半歩前を歩いていた新造が立ち止まって声を上げた。
新造「あっ、菊之丞さんだ。」
新造の視線の先を辿って葵咲も思わず顔を上げる。見つめた先、二階の渡り廊下には白く綺麗な着物に身を包んだ菊之丞の姿があった。菊之丞は何人かの新造や禿(かむろ)を付き従えながらゆっくりと歩いている。
(葵咲:あれが…。確かに綺麗な人。でもなんだろう、何処か寂しそう…。)
思わず見惚れてしまう綺麗な横顔。だが、その儚げな横顔は孤独感を漂わせており、周りの新造達とは距離があるように感じられた。葵咲が足を止めて菊之丞の顔をじっと見つめていると、その視線に気付いたのか、菊之丞が葵咲の方へと視線を落とした。
菊之丞「・・・・・。」
菊之丞と目が合ったような気がした。だが、それはほんの一瞬のことで、すぐさまフイッと視線を逸らされてしまう。そしてそのまま取り巻きと一緒に立ち去ってしまった。
(葵咲:行っちゃった…。)
時を止めたようにぼーっとしていた葵咲だが、ここでふと我に返る。そして歩を進めようとしていた新造へと声を掛けた。
葵咲「すみません、厠をお借りできますか?」
新造「はい。この奥です。突き当りを右になります。」
一旦新造とは別れ、一人華月楼の奥へと向かう葵咲。館内を徘徊するとすれば、馴染みになるまでと思ったのだ。馴染みになってしまえば来店してすぐにお目当ての花魁の部屋へと通されてしまうだろう。だがまだ何も知らない今なら、仮に徘徊している最中に誰かに見つかっても不慣れな場所だという事で誤魔化す事が出来る。