第54章 何も訊かないでいてやる事もひとつの優しさ。
その場から突如逃げ出した葵咲は暫く走った後、足を止め、壁に手を当てて深く俯く。そしてゆっくりと息を整えた。
ハァ、ハァ、ハァ…。心臓がバクバク鳴っている。それは全速力で駆け抜けてきた故か、それとも…。葵咲は少し目を細め、地面を睨むようにしながら唇をきゅっと噛んだ。
そして少しの時間を置いて、総悟が葵咲に追いつく。葵咲が急に走り出した事で、総悟も慌てて追いかけてきたのだ。
総悟「葵咲!どうかしたんですかぃ?」
葵咲「あ…。」
心配そうに声をかける総悟を見て、はっと我に返ったように顔を上げる葵咲。一度は総悟と目を合わせたものの、すぐにまた目を逸らして俯いてしまう。
葵咲「ご、ごめんなさい…。」
そうだ、今は総悟とデート中だった。そんな大事な時間に私ったら…。そう思った葵咲は総悟に申し訳なく思い、俯いてしまったのだ。そんな葵咲の様子を見て、総悟はなおも心配そうに葵咲の顔を覗き込んで声をかける。
総悟「大丈夫ですかぃ?顔色悪いですぜぃ。」
葵咲「う、うん…大丈夫。寒くてちょっと冷えちゃったのかな。」
総悟「・・・・・。」
葵咲「・・・・・。」
葵咲は総悟と目を合わせずに適当な言葉で取り繕う。葵咲は“嘘を吐く時に人と目を合わせられない”。その事に最初に気付いたのは近藤だ。総悟は近藤からその話を聞いたわけではないのだが、なんとなく、そんな葵咲のクセに気付き始めていた。
何があったのかは分からないが、素直な気持ちを伝えてもらえない事に、総悟は少し寂しさを感じた。
少しの間(ま)が二人の空気を沈黙へと誘う。葵咲が総悟から目を逸らしながら気まずそうに顔を上げると、目の前にはもう攘夷戦争記念館があった。昼食を取った店からさほど離れていなかった事もあり、気が付かないうちにここまで走ってきていたのだ。
葵咲は記念館の建物を見上げ、右手を胸元へと持ってきてきゅっと拳を作る。ずっと目を背けてきた場所…。この度、総悟も同行してくれるということで、やっと足を運ぶ事が出来た。だが、やはり躊躇ってしまう。足が竦んでしまう。
葵咲がまた俯いてしまうのと同時に、葵咲の左手を暖かな温もりがそっと包み込んだ。
(葵咲:えっ?)