第53章 相手の承諾を得るのに必要なのは粘り強さ。
その時、総悟の首元をふわふわした何かが包み込む。
総悟「!」
葵咲が総悟の首にマフラーを巻いたのだ。総悟は目を瞬かせて葵咲へと向き直る。
葵咲「ほら。せめて首元だけでも暖かくして。大分違うでしょ?」
総悟「これ…。」
明らかに市販のマフラーではない。手編みである。その事について尋ねようとすると、葵咲が先に言葉を発した。
葵咲「これはこの間の着物のお礼。」
総悟「!」
この間の着物とは、先にも記述した近藤との買い物デートの際に総悟から貰った着物の事。葵咲は着物の存在を忘れていたわけではないのだ。オシャレする事も全く頭になかったわけではない。正直、悩んだのだ。それを着用する事を。だが、オシャレしてこの場に登場する、しかも総悟から貰った着物を着てデートに臨むとなると、総悟に期待を持たせてしまう事に繋がりかねないと考えたのだ。総悟が真剣であるかどうか分からない今はまだ下手な期待を持たせるべきではないと思い、普段どおりの格好にする事にしたのだった。
葵咲「総悟君、絶対薄着で来るだろうなぁと思って用意してたんだ。葵咲サマの勘、凄いでしょー?」
総悟「…っ。」
オシャレしてこの場に現れるよりも、こっちの方がある意味ぐっときた。総悟は嬉しい想いが言葉にならず、少し頬を染めて下唇を噛んだ。
何もリアクションを起こしてもらえない事に、葵咲は勘違いをして慌てて謝る。
葵咲「あ、ごめん!気に入らなかった!?もっと別の物の方が良かったかな?」
葵咲のその言葉にハッと我に返る総悟。総悟もまた、慌てて取り繕うように言葉を返した。
総悟「いや!全然!むしろ嬉しい!」
頬を高揚させて嬉しそうな顔を浮かべる総悟を見て、葵咲は安心したようにホッと息を吐く。葵咲の顔も自然とほころんだ。
葵咲「そう?良かった。じゃあ…行こっか。」
総悟はまたもや葵咲の笑顔に胸をきゅっとさせるが、特に言葉にはせず、二人は並んでゆっくりと歩き出した。