第111章 酒を酌み交わす事の意義。
一連の流れを経て、今度は松本が何かを思い出したように声を上げた。
松本「ああ、そういえば。華月楼で貴方が脅した女性の事、覚えてますか?」
一郎「お前から俺に乗り換えようとしたヤツ?」
松本「ええ。」
一郎「覚えてっけど。そいつがどうかしたのか?」
唐突な話のフリに今度は一郎兵衛が目を丸くする番だった。一郎兵衛は目を瞬かせながらも松本の話に耳を傾ける。
そして松本は目を瞑り、おちょこへと口を付けながら次の言葉を押し出した。
松本「臨月だそうですよ。」
一郎「へぇ~!良かったな。でも何で俺にそんな話するんだよ。」
片眉を上げて小首を傾げる一郎兵衛。相手は自分が追い払った客だ。そしてその現場を松本もしっかりと見ている。何故自分にその話が振られたのか分からなかった。
そんな一郎兵衛に、松本は微笑を零して言葉を紡ぐ。
松本「だって貴方、彼女の事も気に掛けていたでしょう?彼女、当初は私に心酔してましたから。」
一郎「!」
それは先程の松本の発言に繋がる。松本が何らかの暗躍に関与していると睨んでいた一郎兵衛は、松本から客を寝取っていた。その対象として、この女性も例外ではなかった。特に彼女は松本に心底惚れ込んでいた為に巻き込まれる事を懸念していたのだ。だが松本自身が拒絶の姿勢を見せた事で、その必要はないと踏み、華月楼から追い出すような形を取ったのである。
そんな一郎兵衛の行ない全てをお見通しといった様子の松本。敢えて指摘されると、まるで掌で転がされていたようで なんだか恥ずかしい。一郎兵衛が何とも言えない苦い表情を浮かべていると、松本は首を横に振るいながら言葉を紡いだ。
松本「貴方がいてくれて本当に良かったと、心からそう思っています。有難う。」
一郎「よせよ、気持ち悪ィ。」
松本「フフッ。」