My important place【D.Gray-man】
第42章 因果律
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「あれ、留守かな?」
吐く息は白くも、肌を照らす太陽の光は温かい。
そんな静かなパリの朝。
いつものように郵便物を届けに尋ねた男は、扉をノックしても返事のない建物に不思議そうに呟いた。
「郵便でーす、誰かいらっしゃいませんかー?」
ぐっと体を横に倒して覗いた窓ガラスの向こうは真っ暗で、建物内もよく見えない。
まるで真っ黒なカーテンか何か、布でも敷き詰めて窓を内部から覆っているかのように。
なんだか可笑しいな。
そう感じるものの、シンと静まり返った孤児院から応える声は何一つなかった。
「可笑しいなぁ…この時間帯はいつもいるんだが…」
ノックする拳を扉の前で掲げたまま、不思議そうに首を捻る。
その男の頭上から小さな影が一つ、スゥッと流れるように飛び越えた。
かと思えば、ピタリと孤児院の煉瓦の壁に張り付く影。
「おや? コシネルか。この季節には珍しいな」
今は真冬。
この寒さ厳しい季節には珍しい、真っ赤な球体に黒い斑点を持つ昆虫──天道虫。
フランスでCoccinelleという名で呼ばれるその虫は、"神の遣い"として幸せを運ぶ生き物と親しまれていた。
不思議そうにまじまじと見ながら、男の顔が不意に砕ける。
「今日は色々と可笑しなことがことが起きてるみたいだ。お前もその一つかな?」
目に優しい胡桃色の煉瓦の壁に、ぽつんと色鮮やかに映える神の遣い。
軽く指先で触れようとすれば、スススと素早い動きで逃げるように壁を這っていく。
幸せを運ぶ虫だ、下手に刺激しない方がいいか。
「ああ、悪かったよ。また出直してくるから、その時は院長先生達を呼び戻しておいておくれよ」
郵便局のロゴが入った帽子の唾を握り、深めに被り直す。
茶化すようにコシネルにひとつ笑いかけて、玄関前の階段を下りる。
顔を背けて下りていく男には見えなかった。
その声に応えるように、赤と黒の斑点模様の羽を小さな虫が開いたことを。