第13章 何故だか自然と甘くなるー鬼鮫ー
「ごごごご存知でしたか。人の悪い・・・」
「実際に見るのは初めてです。小石と松にかけて恋しく待つという恋文のようなものだったと思いましたが」
空の湯呑みに燗冷ましを満たし、鬼鮫はじっくりと牡蠣殻の顔を見る。
「違いましたか?」
「確かに、そういう・・・・そういう説もありますが」
牡蠣殻は鬼鮫を見返しながら、そろりと湯呑みを卓に置いた。
「よくわかりません」
「わからない?そうですか。ひどいですね、あなた」
「ひどいと言われましても・・・。ではどうすればいいのですか?磯に戻りましょうか。この贈り物のでんでいくならば待っていて下さるようですからね。それも悪くないかも知れません」
牡蠣殻が投げた匙に鬼鮫は目をすがめた。
「戻るんですか?」
「悪くないと言ったのです」
「浮輪さんが喜びますよ。いい恩返しになるでしょう」
「恩返しになる?それならますます悪くないですね」
「珍しくいい行いになりそうですね。まあそれも戻ればの話ですが」
鬼鮫は手を伸ばして牡蠣殻の袷の襟をはだけた。徳利首の上から長い指で鎖骨の辺りを突き、牡蠣殻が肌身に付けた雪中花の彫り込まれた指輪を示す。
「あなたは私のものでしょう?あなたが何処へ行くと言い出しても、私はこれを外しはしませんよ」
「知ってますよ」
鬼鮫の手の上に、牡蠣殻の乾いた小さな手が重なった。
互いの目線がクルリと絡む。
鬼鮫の手が鎖骨から反って牡蠣殻の手を握り締めた。
「・・・・・」
フと牡蠣殻が眉根を寄せた。握りあった手と鬼鮫を見比べ、卓の甘酒を見やる。
「・・・・仕様がない人ですねえ・・・」
「何がです?」
訝る鬼鮫に牡蠣殻は眉尻を下げて笑った。 力の抜けた、情けないが優しい顔で笑った。
「貴方がですよ」
言うや、鬼鮫の広い胸に額を付けて見せ慣れない表情を隠す。胸を上下させて息を吐いたらしい鬼鮫が、黙って牡蠣殻の背中に手を回した。
不意に鬼鮫の匂いを感じた。今まで意識していなかった香り。雪に咲き残る菊花のような、顔を寄せなければ気付かないが、一度気付くと二度三度の経巡りを待ってしまう香り。
牡蠣殻は虚を衝かれた思いで顔を上げた。
そこで再び鬼鮫の目に合う。
引っ張られる?・・・違う。どうも私がこの人に近付きたいらしい。触れたいのだ。
唇が重なった。目を閉じる。鬼鮫の唇が熱い。牡蠣殻は穏やかに笑んだ。