第43章 願い ーイタチー
今年もまた初雪の時節になった。
白い息が立襟の中にこもって、埋もれた顔の肌へ一時の温みと凍れた痛みを齎す。規則的に足を運びながら見上げる空はひどく瞭らかに澄み渡っていて、冬が来るのだと改めて思う。この色は空が凍れていなければ出ない。
フと足を止めたイタチは、意図せず出した大きな吐息の白い蒸気が立ち昇り切らずに消えるのを見守って、そのまま空を見上げ続けた。
晴れた空だが東に雪雲がかかっている。遠からず雪催いになるだろう。
こんな空をふたりで見上げた相手がいた。
繋いだ手の温もりが、どのしがらみより大切になってしまいそうな、そんな危うい予感のする相手だった。
だから、手を放した。永遠に。
彼女はいない。もう何処にも。
野焼きの匂いが鼻についた。近くの田畑で藁屑を焼いている。いがらっぽくもの寂しく、何故か昔恋しくなる匂いだ。
追惜の念に駆られてイタチは目を揺らした。
「…寒いか、イズミ…」
埒もない独り言が白い息と共に口をついて出た。寒々しく澄んだ空の、痛々しいまでに透き通って深い色が視力を失いつつある目に眩しく射し込む。眩んだ目に何処にもいない女の姿が映った。
陰日向ない笑みと呼ばれて振り向くきょとんとした目、次いで表れるはにかみと親しみ。
愛らしく無防備な彼女のことを思い出すと身内に生木を裂いたような痛みが走る。彼女の顔に浮かんだ慈しみと包容の色に溢れた何処までも優しい表情は、痛みとは別に今でもイタチの胸を微かに騒がせた。
身動きする度鳴り響く小さな鈴の音のように。
順当にいけば寄り添いあっていただろう人の手の温もりを思ってイタチは己の掌を見下ろした。
…寒い…。
何時か、多分、そう遠くない何時か、また再び出会えたらば、彼女はどんな顔をするだろう。自分に手をかけた俺に、あの優しい笑みを見せてくれるだろうか。あんな突き放し方を、殺し方をした俺に笑いかけることなど出来るだろうか。
広げた掌の上を凍てついた木枯らしが吹き抜けて行く。雪の花が指先にはらりと触れて、溶けて消えた。
「…降って来たか」
雪雲に追い付かれた空を見上げ、イタチは足を踏み出した。凍えた手を袖に潜らせ、足元だけを見て歩き出す。