第27章 磯 其の四
草いきれが匂い立っている。慣れない匂い。海の、潮の匂いが懐かしい。
移動用の簡便な天幕の生活は性に合わない。
イグサで編んだ広い寝台に綿布団を重ねて、山鳥の羽を詰めた夜具に包まって眠りたいのに、細長い折畳式の堅い寝台に横たわらなければならない。
浮輪が代々使ってきた大きな風呂桶で、手足を伸ばして湯浴みしたい。衣装箱を何個も並べて、幾たりも衣裳を広げながらその日の装いに迷いたい。
窓辺の海が見える柳の揺り椅子に腰掛け、浜の湧き水で沸かしたほんのり潮っぽいお茶が呑みたい。
好物の貝を昆布に包み、たっぷりの酒で蒸したものや小蟹の塩辛を摘みたい。素焼きにした磯の雑魚に熱い酒にかけて、よく出汁の出たところをふうふう言いながら啜りたい。崖下の泉で冷やした真桑瓜に齧り付きたい。
「山には山のご馳走がありますよ」
波平が里人の持って来てくれた山の魚の入った籠を持ち上げて、仕様がなさそうに私を見る。
「苔を食べるような魚は好きません。瓜の味がする魚なんて、気味が悪い事」
溜め息混じりに忌々しげに言ったらば、小賢しい異母弟は肩を竦めて薄っぺらい卓の上に湿った籠を置いた。安っぽい卓は剥き出しで、以前のような綴織の掛布すらない。
気が滅入るばかりだ。
「無い物ねだりはお止しなさい。またその内海辺リに動く事もありましょう。それまでは山川を楽しんではどうです」
癪に障る。
元より海辺にありながら山を流離い、薬種を採取するのが得手な野師の血が濃い波平の事、今の暮らしが肌に合っているのだろう。磯辺りに定住していたときよりも生き生きとしている。
それが調子に乗っているように見えて、鼻っ柱をぺちゃんこにしてやりたくなる。
「…また良からぬ事を考えているでしょう?」
「いいえ」
嫌味臭く思い切りにっこり笑ってやると、波平は鼻に皺を寄せて溜め息を吐いた。
「大戦も終わってやっと世が平生になり始めている。混乱の渦中にあって小里の磯がこうして今在るのは、在所を捨てた父上の英断に依るものです。不平不満は言うべきではありませんよ」
「誰が不平不満など言いました?私は苔を食べる魚は嫌いだと言っただけ」
「…食べなさいよ、川魚。一回も食べた事がないのに何でそうも嫌うんです?」
「ふん。そんなものを食べるくらいなら、私は山鯨を食べます」
「……山鯨って猪ですよ?」
「だから何よ」