第25章 磯 其の三
本草学の先生のところに、小さな女の子がいる。
一丁前に小さな髷を結って季節を問わず厚手の袷を着込み、いつ見掛けても独りで本を読んでいる。
同じく先生に習う子だろうか。小さいのに勉強熱心な事と、ちょっと面白くない。
私も弟の波平もあまり熱心な子弟とは言えないのがわかっているから、焼餅の虫が騒ぐ。
女の子は波平とあまり年が変わらない。
波平は折に触れて見掛けるあの子が気に入ったらしく、初めてまともに顔を合わせたとき、不躾に頭を撫でて手を叩かれた。いつもは人見知りするくせに鼻の下を伸ばして、何をしているんだか、全く。
無闇に触られるのが厭なのですよと、先生が言い訳したのが癇に障った。
当の本人は先生に頭を下げさせられているせいで、反省しているのかどうかもはっきりしないものだから、ますますムッとしてしまう。
「人に触られるのが厭なんて、秀才さんはお高い事ですね」
ツンとして言うと、先生は苦笑いして女の子を見下ろした。
「触られるのが厭なのには事情がある。それにこの牡蠣殻は秀才などではありません。本の虫なだけ、勉学からは逃げまわってばかりいる。あなたたちと変わりありません」
波平と顔を見合わせてから改めて見ると、先生の手から逃れた女の子と目が合った。
何処といって見るところもない顔だけれど、扁桃みたいな形の真っ黒い目が不思議に気を惹く。それがまた気に入らなくて顔をしかめたら、真っ黒い目が柳のそよぐ様に笑った。
あら?
何だか不思議な顔して笑うのね。満更見れなくもないじゃない…。
何故かムッとはしなかった。むしろ、可愛いと思った。何処かしら浮いた様な、他人事みたいな笑顔が妙に気に入った。
「名前は何というの?」
先生が呼ぶからどうやら野師らしい牡蠣殻の姓は知っていたが、まだ名を知らなかった事に気付いて聞いてみる。
膝を折って目線を合わせると、女の子はそれを避けるように目礼して小さな低い声で答えた。
「牡蠣殻磯辺と申します」
大人びた言い方だった。
興味津々で傍らに寄って来た波平と、また顔を見合わせる。
「磯辺か。いい名前だね」
滅多に笑わない波平が笑った。牡蠣殻がびっくりして波平を見る。波平が笑わないのは有名だけど、それにしてもそんなあからさまに驚かなくたって…。失礼じゃない。
けれど波平は、牡蠣殻の驚いた様子を流して話を続けた。