第21章 磯 其の二
「…お前まで…!」
喉骨に長く細い指が食い込んだ。気道が塞がって舌が縮こまるような感覚に嗚咽が込み上げるが、えずく事さえ出来ない。
「俺は磯影になる」
耳元に寄せられた口が浮かされたように囁いた。
「そしてお前と子を為す。より巧みな巧者となる子を」
口元から溢れた泡が弾けて涎となり、首筋を伝って行く。
死ぬのだろうか。死ぬのか。
「磯を強い里と為す礎を…そうすれば…そうすれば杏可也は…」
そうか。お前、そこまでとち狂ったか。…お前のように道を外す前に始末がつくならそれもいい。…好くのも憎むのも恐ろしい。何て怖い事なんだ。
牡蠣殻は己の目玉が恐ろしく裏返りかけているのを感じた。膝がガタガタと跳ねる。
「戯けッ」
天幕の厚い布が震えるような一喝が耳鳴りで痺れた耳朶を打ち、不意に何もかもなくなった。
海士仁の重みも喉に食い込む長い指も。
「ぅおえ・・・ッ・・ぇ、ぅえ・・ッえッ・・・・ぉえッ」
喉に詰まった呼気がいっきに吐き出された。えずく喉が激痛に震える。
今になって涙に気が付いた。視界がボヤけて頬がすうすうする。
「貴様は、一体、何の真似を・・・ッ」
激昂した声は波平のもの。しかし怒りに上ずるこの声は彼を思わせるよすがもない。
「磯影になると!?笑止!!悪戯るな。こんな真似をする者が里を束ねられると思ってか!?クソ戯け・・・ッ!」
目を凝らすと、細い鼻梁を血で汚した海士仁と別人のような顔をした波平が見えた。目の色が文字通り違う。
しかし牡蠣殻の目は呆然と海士仁に囚われて動かなかった。
嘘だ。海士仁は何より医師になりたいんだ。本当に先生のような医師になりたかったんだ。
だから深水舎に来た。その為に毎日勉学に励んでいた。
いつでも及び腰の傍観者だからむしろ俯瞰してはっきり見える事もある。
波平が昼行灯ではないように、海士仁は磯影になどなるつもりはなかった筈だ。
何故嘘を?
深水を呼ばわった時返ってきた冷たく凝り固まった声が答えか。
海士仁は先生を憎んでいる。先生より大きく強い者になれば手が届くと思ってしまった。
阿杏也に。
肩に誰かの手がかかった。ギッと奇妙な声が喉を突いて出た。
触るな!!!
意識が飛ぶ一瞬、牡蠣殻は必死で念じた。
忘れろ!忘れろ!!忘れろ!!!忘れるんだ!
また全部忘れてしまえ!!!
