第20章 磯 其の一
「牡蠣殻!お前また何処に行っていた、この馬鹿者!」
「いえいえいえ。何処と言う程の場所には行っておりません。大丈夫です、先生」
「里を出た」
「・・・・言うなよ、海士仁」
自分がエライ顔付きになっているのがわかる。他界した波止の如き形相になっているのだろう。
にしては、この弟子二人は怖がりもせず深水に接する。初めからそうだ。
「身の上を弁えよ、磯辺。その体で傷でも負えば、一体どうして里へ戻るのか」
「・・・失せる?」
「師に問うか、バカ者」
「お前は黙ってろ、海士仁。茶々を入れるな」
「俺の淹れる茶は旨い」
「知ってますよ。知ってますけど、今そりゃどうでもいい」
「ならば淹れよう」
「頼んでません!何だよ、お前は」
「・・・荒浜海士仁?」
「・・そらそうだ」
「諾?」
「是」
「黙りなさい」
深水に諌められて二人はピタリと口を閉ざした。
が、顔に滲む深水への親しみに変わりはない。
腹が立つようなくすぐったいような、けれど大方は温かい心持ちで二人の顔を眺めて、深水は喜びを覚える。出来のいいのと悪いのと、いずれも可愛い教え子たち。
「また叱られているのねえ。フフ。可笑しいわ」
庭先から華やいだ声がして、長く磯の鮑の片想いを募らせている女人が顔を出す。
「杏可也さん」
牡蠣殻が破顔し、海士仁はむしろ素っ気なく目礼した。
「いつも何かしら叱られているのだな。何をやらかしているんだ、お前たちは」
杏可也から少し遅れて顔を出した波平が牡蠣殻の頭に手を載せる。
牡蠣殻は憮然とその手を払い、波平が朗らかに笑い、杏可也は勝手知ったる天幕に上がってお茶の支度を始め、海士仁がそれを眩しげに見守る。
「今日のおやつは何ですかー!」
一際大きな声と共に藻裾が顔を出す。
深水は表に置いた椅子に掛けて息を吐いた。何と幸せな私である事か。
早くに母を亡くし、父もまた亡くした。
父から継いだ悪相の性は抑えがたいが、隔てなく慕ってくれる人たちがいる。身近く接し、笑わせてくれる人たちに、深水はどれだけ救われている事か。
杏可也。
一度は縁付きながら再び磯に戻った想い人に、深水の胸は躍るばかり。
そこに海士仁の、そして牡蠣殻の言葉に出来ない思いが纏わっている事に深水は気付いていなかった。