第20章 磯 其の一
薬師という薬師を巡り、到頭最後にここに来たのだとその夫婦は頭を下げた。
父親の腕には膝を擦りむいてタラタラと血を流している子供が白い顔をして抱かれていた。
外傷にそぐわない顔色でぐったりした様子の子供に一平は脳震盪でも起こしたかと内心苦笑した。
子煩悩の親が動転して大騒ぎしているのか。慌てるより膝を拭いて膏薬を替えてやればいいものを。
小さな膝に貼られた膏薬は真っ赤に濡れて今にも剥がれ落ちそうだ。
たかだか擦り傷や脳震盪如きで薬師という薬師を巡り、この深水のところまで来たと?
全くこの夫婦者、本当に磯の民か?している事が恐ろしくチグハグだ。
そこまで考えて初めて一平は気を引き締めた。
おかしい。只事ではない。
本草の里磯において名医の呼び声高い父波止を見やると、案の定恐ろしい顔をしている。
父深水波止は、感情が昂ったり物事に気を入れすぎると悪鬼の如き形相になる。これは一平にも引き継がれた悩ましい習性で、真面目一辺倒ながら遅い春を迎えた一平の寡黙な恋心に少なからぬ影を落としていた。
「いつからこのように意識をなくした」
波止が厳つい顔に似合わぬ甲高い声で問う。
あまり嬉しくもないが、この甲高い声も一平は波止から受け継いでいる。
父はどうにも損をしている気がしてならない。
腕の良い医師で学問全般に通じ、穏やかかつ磊落な気質を持つ波止は、息子の一平が見ても徳人と思う。が、悪鬼の如くなる形相と何処か軽佻な声のせいで、周りに誤解されたり敬遠されている節があるようだ。
現に波止の声を聞いた夫婦は、藁にもすがるような必死の顔に微かな疑念と当惑を浮かべてしまっている。
子供の様子は気になるものの、その親に一言言ってやりたい。
そんな顔をするならよそへ行きなさい。この里に父より優れた医師はいないぞ。
「・・・・血の気がない。随分血を流したな?どうした事だ。まず傷を見せなさい」
当惑顔の親と憮然としている一平をよそに、子供の目の下をめくり、首筋に二本指をそえて脈を診ながら、小さな手を握ってその冷たさに顔をしかめた波止は、目顔で診察為にのべられた床を示した。
「一平」
「はい」
呼ばれて一平は診察の仕度を始めた。
木桶に水を張り、清潔な晒しを束で積み、膏薬に塗る薬を合わせる。