第80章 【チカクテトオイヨル】
「菊丸くん、大丈夫かい……?、顔、真っ青だよ?」
その声にハッとして振り返ると、隣で電話の動向を気にしていた店長が、心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。
もしなんだったら、今日は早退していいよ、そう言ってくれる言葉に、震えながらコクコクと首を縦にふる。
すみません……、そう言って受話器を店長に渡すと、ちょっと英二!、なんてまだ電話の向こうで叫んでいる市川を無視して、そのまま走り出す。
「先輩……!」
更衣室で急いで着替えを済ませて、従業員通用口から飛び出したとしたところで、後ろから芽衣子ちゃんに声をかけられ振り返る。
ごめん、今、急いでるから、そう言って構わず行こうとすると、先輩!、なんてもう一度呼び止められて、それから腕にしがみつかれた。
「……芽衣子ちゃん、オレ、急用で……今夜の約束も守れなくて……ゴメン、でも、本当に急いでるんだ!」
まだ何か言いたそうにしている芽衣子ちゃんの腕を振り払うと、あとは振り返らずに駅へとダッシュする。
もう頭の中は小宮山のことでいっぱいで、正直、今は芽衣子ちゃんのことを気にかけてる余裕なんて一切なくて……
そんなオレの背中を、芽衣子ちゃんが下唇を噛んで見ていたのなんて、当然だけど全然気がつかなかった。
ちょうど駅のホームに停車していた電車に飛び乗ると、すぐ降りられる位置を確保しながら、携帯で到着時刻を確認する。
あいつらの手口だと、絶対、小宮山は媚薬を盛られてるはずで、効果が現れたらすぐに輪姦されるはずで……
頼むから、小宮山、何も口にしないでよ……、そう祈りながら窓の外を眺める。
大丈夫だよな……小宮山、あんなにしっかりしてるし……
だけど、普段の頭脳明晰ぶりとは裏腹に、オレのこととなると冷静な判断なんて一切できなくなるってことくらい、もう嫌という程わかっていて……
分かっているからこそ、胸の不安はどんどん大きくなる一方で……
この電車、ちゃんと走ってんのかよ!?、そうイライラしながら進行方向と携帯の時間を交互に眺め続けた。