第49章 【ハジマリノキオク】ヨウジキ①
真っ暗な部屋、毛布にくるまりながら眺めた窓の向こうの空が白み始めた頃、ピンポン、ピンポン、ピンポン、そう呼び鈴を連打する音にハッとして起き上がる。
英ちゃーん、開けてー、そう呼ぶ声に笑顔で駆け寄り玄関の鍵を開けると、勢いよくドアが開いて、そのまま崩れ落ちるようにあの女が倒れ込んでくる。
「たっらいま~、英ちゃん、水、水、ちょうら~い!!」
もはや呂律も回らない泥酔状態のゴキゲンなその女に、慌てて水道の蛇口を捻り、コップに水をくんでこぼさないように差し出すと、それを一気に飲み干した。
「キャハハー、ほーんと、英ちゃんはいい子でしゅねー!!」
化粧も落とさず、着替えすらせず、そのまま玄関で寝息を立て始める。
さっきまで自分がくるまっていた毛布を、一生懸命引っ張ってきて、上にかけると、その隣に潜り込んでピトッと頬を寄せ一緒に眠る。
鼻を突く甘ったるい香水と、タバコとアルコールが混ざった香り。
当時のオレは、そのむせ香るようなニオイが大好きだった____
「……おかーしゃ……?」
玄関先で目が覚めると、たいていはオレ1人だった。
母は1人布団に移動して寝ていたか、部屋で二日酔いの不機嫌な顔でタバコを吹かしていた。
普通の母親なら、最愛の息子をそんな所に寝かせっぱなしにはしないだろう。
布団に運ぶなり、起こして移動させて、また一緒にその腕の中に包み込むはずだ。
でもあの女に限って、そんなことはほぼ皆無だった。
そもそもあの母親に普通を求める方が間違っていた。
その日もあの女はテーブルの前に下着姿で座っていて、タバコを口にくわえたままチラッと視線だけオレに向けると、ああ、起きたの……、そう呟いたきりボーッと空を見つめていた。
急いで駆け寄ってその隣にちょこんと座る。
テーブルの上にはいつもアルコールの缶が散乱していて、灰皿の中は山盛りの吸い殻。
それから、母親の身体には沢山の赤いうっ血痕。
子ども心に、その痕が何かを聞いてはいけない気がして、それらをただ黙って眺めていた。