第87章 【ホットケナイ】
「菊丸くん、お客さまよ……会えそうかしら?、無理だったらそう言ってね……?」
重い空気の中、先ほどの出て行った養護の先生がまた顔を出し、そらから少し大きくカーテンを開く。
お客さま……?、不思議に思って向こう側を覗くと、そこにいたのは小さな男の子を連れた女の人……
神妙な顔をしていたその女の人は、私たちと目が合うと、深々と頭を下げた。
あ、もしかして……この人、さっき英二くんと揉めたっていう……?
「あ……はい……大丈夫……」
英二くんはその人の顔をみると、戸惑いながら起き上がる。
まだ少しクラクラするようで、ふらつく彼の身体を支えると、ギュッと私の制服を握る手に力が入った。
「先程は申し訳ありませんでした、すっかりご迷惑をお掛けしてしまって……」
英二くんが食ってかかった、ということが信じられないくらい、その女の人はとても低姿勢で……
本当に、すみません、そう再度、頭を下げると、それから鼻をすすって涙声になる。
「……正直、堪えました……でも、本当にあなたの言うとおりで……」
震える声でゆっくりと、でもしっかりとそのお母さんは話し始める。
旦那さんも居なくて、頼る実家も友人もいなくて、たった一人で育児をして、生きるためには当然仕事もして……
お子さんのことがすごく大切なのに、時々、スイッチが入ったように自分の気持ちが抑えられなくなって……
その度に後悔して、もう二度としないって思うんだけど、結局、同じことを繰り返して……
この人も苦しんでいる……
とても大切な人を傷つけてしまう苦しみは、きっと想像以上の苦痛……
意味もわからず、心と身体に傷を追い続ける子供の苦しみとはまた別の……
「あの、お母さん、子育て支援って知ってますか……?」
「子育て支援……?」
養護の先生が、棚から数枚のプリントやパンフレットを持ってきて、そのお母さんに差し出す。
いっぱい頑張ってますね、でも1人で抱えなくてもいいんですよ、そう続けた先生の優しい声に、そのお母さんは大粒の涙を流した。