第5章 尽くすだけ
永ちゃんの言う”あの人”というのは、おそらく黛さんのことだろう。
永ちゃんが黛さんに会いに行っていた、ということ?
「珍しいこともあるもんね…」
小さく呟いて、私は階段を駆け上がり、屋上のドアを開けた。
そこにはいつものように座り込んで本を読む黛さんの姿があった。
「ちーぃちゃーんっ」
私がふざけながら呼べば、黛さんは嫌そうな顔をしてこちらへチラリとだけ視線を送った。
「今度は藍川か。何の用だ」
「差し入れにお菓子を作ったので、試食をお願いしたくて」
「毒見か」
「失礼ですね」
私は頬を膨らませながら、黛さんの横に腰を下ろした。
そして、自分の持っていた紙袋からタッパーを取り出し、蓋を開けて、黛さんの前に差し出す。
「蜂蜜レモン風味のパウンドケーキです」
お願いします。と付け加えて私が差し出せば、黛さんは本から視線を外すことなく小さく息を吐いた。
「何で俺なんだ。他の奴に頼めよ」
「んー…だって、征十郎には自信のないもの食べさせられないし、そもそもあの人お菓子自体あまり食べないでしょう?レオ姉はまずくても気を使って美味しい、って言いそうだし、コタちゃんの味覚は怪しいし、永ちゃんなんて味とか関係なく食べそうじゃない?」
「……」
「黛さんしかいないんです。はい、お願いします」
私が理由を淡々と述べれば、それに納得したのか、黛さんはポケットに入れていた左手を出して、タッパーの中のケーキを一切れつまむ。