第8章 二人
このときにはすっかり忘れていた。
いや、覚えてはいたが、気にしていなかったと言うべきか。
健斗君と私が感じていた違和感。食欲も喉の渇きも排泄欲もない。
それを思い出すきっかけとなったのは、予想だにしない出来事だった。
「うわっ!」
「え、ちょ……! 大丈夫!?」
健斗君がこけた。
恐らく床に散らばった瓦礫につまずいたのだろう。
前に傾く津山君の腕を掴もうとしたが、とっさのことで間に合わなかった。
健斗君は盛大に顔から床に突っ込んだ。見ているこちらも痛い。
慌てて健斗君に駆け寄り彼の傍らに膝をつく。
体を起こした健斗君は、呆然とした顔で自身の手を見つめている。
床に強打したのか、鼻血が出ていた。だが拭くものなど持ち合わせてない。
「け、けけ健斗君、はな、鼻血が……!」
「…………」
「あああどうしようどうしよう……えっと……ええーっと……」
急なことで大袈裟なほどうろたえてしまう。
鼻血が出たときの的確な対処などわからないが、とりあえず自分の血がついた服の袖で健斗君の鼻を押さえる。
服に付着していた黒ずんで固まっていた血に健斗君の赤い血が混ざる。
健斗君はやはり、呆然とした顔で手を見つめている。
「……健斗君? ああ、手からも血が……」
「……鼻血、出てるんだよね?」
鼻声で健斗君が言う。
別に私に聞かずとも健斗君はわかっているはずだ。
なのになぜそんなことを聞くのかと疑問に思いつつも、私は頷く。
「……ないんだ」
「え?」
「――――痛く、ないんだ。手も、足も、鼻も、全部」
……健斗君の言葉を理解するのに、数秒かかった。
(痛くない?)
ありえない。
鼻血が出るほど鼻を強打したというのに、痛みがないはずがない。
膝小僧と手のひらからも、擦りむいたのか血が滲んでいる。
痛くないはずはない。けど、健斗君が嘘をつく理由も痩せ我慢する理由もない。
――――いったい、どうなっているんだ……?