第15章 偽りの愛
野菊と男が消えて早二年。
重々しい空気が漂う中、水仙の次に古株だった元暗殺者(アサシン)が紅を引きながら肩を震わせた。
「どうしたの。白摘草。」
水仙は静かに問う。
白摘草と呼ばれた彼女は、珍しい琥珀色の髪をふわりと靡かせ水仙を凝視した。
「今震えたでしょ、それに気がついただけよ。」
怯えるそぶりを見せた彼女に呆れたように言葉を紡ぐ水仙。
虚ろにも感じられる覇気のない瞳は疲労をくっきりと浮かび上がらせていた。
「いえ……ただ、その。今の幸せが怖いだけです。」
白摘草は遠慮がちに返答する。
日に当たる回数が少ないためか今にも透けそうな肌が弱々しくて。
「……人を殺しているときは嫌悪しかなかったけれど心のどこかで生きていることを実感していました。それがなくなって時々怖くなるんです……。」
見た目とは少し想像違いの低めの甘い声。
その声色を使って男を彼女は殺してきた。
遊郭内で一二を争うくらい、人殺しを恨んでいて、それを行う自分に刀を向けようとした回数も彼女は少なくはない。
自殺をしかけ、人質のことを思い出して嘆く。彼女が一番心の弱い暗殺者(アサシン)だった。
そんな彼女からこの言葉が出るなんて……。
「他の姉様たちも……きっと。」
同じことを思っているんでしょう___その言葉を白摘草は続けようとはしなかった。
言えばある人を思い出してしまうから。
水仙は彼女の思いを汲んで答えない。
揺れる長い睫毛の下にある聡明な瞳の奥に浮かぶのはまだ幼き頃の野菊。
唇を引き締め、使命感に燃えていたあの頃の彼女。
今、長い夢を見ているのかと錯覚するほど彼女の痕跡は殆ど残っていないに等しい。
男に殺されたとは考えにくいだろう。
男は彼女に自分の子供を孕ませる気だった。
だったら生きていると考えるべきで。
そう思えば思うほど彼女が消えた理由も男が消えた理由も分からない。
野菊……貴女は今どこにいるのですか。