第50章 リカバリー
カリカリとシャーペンの先を滑らせながら、結はテーブルに置いた携帯に目を走らせた。
最寄り駅すぐのコーヒーショップ。
途絶えることのない香ばしい香りに、ノートを写す手がしばし止まる。
「お腹減った……」
とうに空になったカップに口をつけ、底に残った一滴のコーヒーで唇を潤すと、結は指先で黒い画面をそっとなぞった。
『少しでもいいので会えませんか?
駅で待ってます』
文字を打ち込んでは消し、読点を入れたり元に戻したり。
たったこれだけの言葉を送るのに、30分以上もかかってしまった。
“会いたい”
自分の気持ちを素直に伝えることは、ケーキ作りと同じで未だに苦手分野。
でも、少しずつでも努力すればいつかきっと。
(そろそろ練習が終わる頃、かな……)
恋人を待つ時間に、ドキドキと弾む気持ちはふくらむばかり。
ゆっくりと閉じたまぶたの裏に浮かぶのは、寝起きの顔で微笑む優しい瞳。
『仲直りエッチしてたってことか』
瞬間、友人のストレートな言葉を思い出して顔から火が出る。
(カ、カラオケじゃあるまいし、オールって)
一晩中、あの腕につつまれ、あのカラダに抱かれたら……
身体の奥に灯る熱と、足元から這い上がってくる期待という名の欲情に、背中がぞくりと粟立つ。
あらぬ想像を打ち消そうと、ふたたびノートに向き合った結は、テーブルの上で着信を知らせる振動に、手の中のペンを放り投げた。
「も、う……タイミング悪すぎ」
床に落ちたシャーペンの回収は後まわし。
早く早くとせわしなく震える携帯を手に取ると、画面に表示された名前に目を細める。
もうすぐ会える。
そして、一度会ってしまえば、“少し”ではすまなくなることは百も承知。
少しじゃ足りない
もっと
ずっと一緒に
自然と緩む口元に、ピリっと引きつる唇を小さく舐めると、結は最愛のヒトの名前にそっと触れた。
end